昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

浪費家たちの終末論

季節のアイロニーにより止まぬ偏頭痛とカノン、麗しい週末と、凍えた今を愛で漁るために、こうして怠惰に歌い上げ、軸を歪め、曖昧な座標を放棄し、悔悟にゆらぎ、この刹那に結ばれる無数の仕組みや、対価も求めずに愛するということすら、難しくなってしまった日々の中で自覚することすらできずに、今に退廃していくことにより、接続される観念や関係性や制度などを駆逐し、鳥獣戯画の中でノスタルジックに羽化する胸裏に馴染む全ての互換性や、制限すらなく、蝕まれるだけの今に諦観などせずに、監視下に置かれ、勘違いする前に、スラスラと嘘をつく口を縫い合わせ、胡散臭いロジックを推敲しながら、玉響を嬲るような連中の武器を取り上げ、手を取り仲良く踊り、理解を超えるために、何度も自己を超越して、誰とも同じではないし、同じなどになりたくもないし、ないこともないが、あっては困るし、あったからといって、ここにあるものなんて所詮はしれてるし、四苦八苦しても、仕組みなんてものがもたらす無意味さにより、何か物足りないだ、とか、もっと欲しいだとか、と右往左往する烏合の衆や、理解に至らぬから、と排除する排外主義者や、チグハグな今に備わる模倣や、無名なままにきらめく時代性の制圧や、制御不能になった観念や、今に迎撃され、迎合されるものを崇めたりしながら、しなびた今を愛することもできずに、のらりくらりと耽溺し、自らの方針により貫いた意志が、やがてこの春を引き裂いて、手元には何も残らないが、心置きなく遊び尽くした日々だ、あらゆる後悔や崩壊を受け入れ、即座に消え去っても、そこに残るのは、依然として豊かさだけ、だ。そう。そこにある慈しみの火を絶やさぬように、あらがうほどに食い込む痛みを跳ね除け、全てを滞らなく愛するために、何度でもやり直す。