昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

真偽

誰の責任でもあらへんから、変化を求めて、てんやわんやなって、転落もせんと、自由なまんまで、真似なんかしやんと、ちゃんとせんと、しなびんと、しゃんとして、キリッとした世が、赤裸々なもんも求めんと、陰険な支配から、村社会的な排除やら、やかましいもんが攻めあげる誰かのストリートや、軽薄な輩が示す意味に、締めあげられよって、よってたかってリンチしよるし、夜も深いし、不快感ばっかやし、きたないもんばっかやし、ニセモンばっかやし、万端なもんなんかあらへんから、あらがうんもやめて、病んでいる彼らが示す懸隔なんかひろがるばっかやし、爆砕するだけの見事な意思も、花火みたいに綺麗に弾けよってからに、加算されるもんも、道楽みたいなもんやから、ワシら、適当におどって、適当に笑い続けよるんが、価値を超えることにもなるし、内面性に制限をもたせんと、なにかやだれかが示す苦しみとは、自分の苦しみとは、比べることはできんし、マシなもんもあらへんから、きみの苦しみは、だれかの苦しみでもないから、だれかが苦しめなんか思うのは、絶対違うわけで、きみが苦しむ理由もあらへんし、そこで孤独にあらがうんが価値みたいな示し方なんて、それは生きてるんやなくて、生かされてる的なもんを内に孕ませ、はびこる悪意から目をそらし、どこかの正義は、だれかの悪になり、どこかの悪は、だれかの正義であることを知らずに、ましてや、だれが作ったか知らんような善悪だけで、裁くなんてアホらしいから、ワシゃなんも知らん。