昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

活路

ごわついた心を食べる骸。羽ばたく常々は、自らの死にも気づかずに、束の間の誓いを立て、確かな愛を醜く変形させては、よろこんだりしている不条理さに惑溺することでしか、互いの愛を確かめられないような生活の中できしむ理由は、たえず快楽的であり、受注され、同じ時間に毎日お届けされるだけの愛などに飽き飽きだ、と君は不器用にたしなむる先々でゆるむ感じを確かめることもしないで、ただゆらぐままの不自然な苦悩をかかえ、幼稚な空間で互いが離れて行くのを乖離して見つめている自己を傍観し続ける先には、どっちの存在もあやふやになり部屋に溶け込み、生活音だけが自分の後ろをうるさく付きまとう。漸くこの命も輝きを取り戻し、論理的な風邪が治り、長びく痛みも消えて、意思に翅が生えて、延々と続くだけのデカダンな帰路を瞬く間に跳び越え、厭世観を綴るだけの形式的な蛇行を続ける若いだけの奴らや、勇躍できずにゾンビみたいに戒律の中をさまよう大人のふりした孤独なケモノたちの猥雑な輩が謳う僥倖なんてものは、その場しのぎのものでしかないから、乾いたままに進む。くだいた情愛の最中を泳ぐ魚。形あるものは絵画の中に閉じ込められて、意識的なものにてなずけられる合併症状にゆらぐ主体性の終わりや、あらゆる恐れを生み出す老いるというたまゆらの内部から生み出される虚像と虚実の彼方から最たる意味をぶつ切りにする彼らの被害者意識から、加算される原理の中でサバティカルな安らぎから、苦悩を淡々と吐き出す画面上からあふれる形跡をたどるほどに喪失感にゆだねる引っかかりから輪唱される言葉により去り行く私たちの緩慢な終わりへと引き込まれて行くヘテロ接合体から、同じ動機を愛する君たちの関連性に、性愛は互いをとがめるための道具に変わり、偶然を高揚させる道具であるだけの、偶像崇拝を続ける君の仰々しい角度から産卵されるあらゆる悲劇の行方。たぶん私たちは重いから意識の中でカクつくだろうし、メモリーが足りないというよりも、チグハグな設計により、うまく接続できなくて、熱暴走したり、加速するCPUがあらゆる部品に負荷をかけ、陥る闇の彼方で、愛のようなものをむさぼる意思の奴隷として、依存的に画面にかぶりつく間に疲憊して行く先々で軋轢を生み、今に踏み台にされるからと泣いているひまはないから、私たちは自由であることよりも速く逃げ出す。