昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

失うということ

その場で痛む傷みは、さらなる痛みをその場に引きずり、ヒステリックな今を掻き乱し、さらなる痛みに今が麻痺していく。 居なくなる瞬間から、鈍麻に痛みは怯懦を与え、安易な窮境から精神は朽ち果て草臥れ、腐り切るまでに断ち切る精神的断罪が迫り、毎日に瀰漫する慢性的な痛みが広がり、撹拌される半径に散りばめるチクチクした痛みや、希望を失うほどの絶望に至らせる余韻に浸り切る因果な覚醒に隠遁しては、頓挫しては、最たる痛みに絡みつく季節に枯渇し、拘う世界から外れては、貪婪な今に帰属する意味を緻密に寄贈しては、端的な猶予に腰掛け、自らの痛みを緩衝するような愛が交互すれば、救われる世界を同情的に救うのでは無く、救うべく今に備わり、おざなりな関係に儚く関連していくジレンマを弄り、その痛みすらを超えるのは、思いやる愛である。 無神経で無骨な痛みが這いずりながら、記憶の最中に植え込み、埋め込む過去から引火していく意味が死地をくぐり抜け、確かな強さを自らにほころばせ、喜び合うまでに互換していく感性からエクソダスする風景が、聖域に達し、自らを解放していき、永劫に携わり、消費される間柄から整合される瞬間に去りゆき、循環していく今に行き過ぎる面影が粛清を重ね、主体に収容されては、押収される先々に連綿たる雰囲気を瀰漫させ、生成的に調和され、超越的に境目も無く飛び越えていく今にも注がれる可憐な事情に降り積もる意味が混沌としては、叙情的に入り混じり、適任していき認可していく先々を認識し、確かな意味を吐き出し、今をたどり、確かな足取りで、今に至る原因を飛び越え、その喪失にたぎる英気を養うまでの行為に至らせるべく、孤立した君を聳立させる愛こそが、立ち尽くす今に消費される痛みから解放される思いは凍える主体から失態を重ね、一体感を抱えながら、混みあう心に心形が凝固し、自らを傀儡に変えるだけの残像に変更していく思いが主体性を失い、離人的に消費される生を、死した存在から傍観するような苦しみに消費される憂鬱に誘導されるだけに暗鬱に至る原理に相違していくだけの関係に堕落していくだけに等位を用い、心ない何かに価値をなすりつけ、自らに無為を用い、用いる是非で統制されるだけに動機にプラトニックに混ざり合う原理に滞るだけの退嬰的な物事がごった煮になり、降誕する理由にすら神格化するだけの動物性に安易なペシミズムが、用いる偽善から放棄される関係から離脱した瞬間から存在から脱し、こぼれ落ちる心は、静謐さに関わり、蒼炎に消え入る本質に相似していく日々に憂鬱に過ぎ去るだけの連動性からデータ化される主体が償いを求め、罪と罰を用い、誰かを裁くか、自らを裁き、自らを統治せずに、投影される悲しみに詰め込むだけの論理に相違せぬ事柄に心身を捨て去り、自らを裁く事が克服である、と諦観していく状態こそが、その憂鬱の姑息さに、失速していく心身から乖離した陰惨な状態が創造性を失い、統計されるだけの数理に苦しむような原理を生み出す国家的な骨格に騙されるだけの法理に収まる原理や権力などの家畜にならずに、このならず者な雰囲気に個人的な邪推が進んだあたりから、すする生命は成層圏にまで達する程の昇華や、死に委ねる価値に浸るだけのゲーム化していく心理に真相は真理を失う、本質にさまよい、原理にたゆたい、浪費する精神に神を用い、誰かを裁く事に疑念を支払い、相対する主体に成否を用い、存在そのものを打ち砕く程の正義に補填されるだけの弾丸は、撃ちぬくべきに消費されず、用いる自閉的な自衛に至るだけの行為に状態は、死をも超脱しては、散漫に消え入る映像から永劫を引き離し、反体制的な全貌に絶望を用い、テロリズムに移行させるだけの暴力性を引き剥がし、崇高なのは、行為に持ち込まれる意味に飲まれる事にあらず、自らが行う事に崇高さを用い、誰かを卑下し、誰かを裁く事にあらず、自らに宿る真理だけに従うだけの超然とした個人主義に移行するにあらず、同調し、協調性を用い、誰かを縛る事にも無く、互いに消費されるだけの存在に関係性を用い、消耗するような法理で加工する事にあらず、曖昧ながらも、こじれる意図から漁るあたりに大惨事を生み出すだけの戦争に移行するだけの行為に紐解く国家に形を用いず、情報過多にならず、この流れるままを逍遥するようにゆとりある瞬間に収監されず、査定されるだけの人間に収まらず、このままに収まるだけの的外れな原理にこじれるだけの移動性のコギト・エルゴ・スムを重ね、咽び泣く先々に失われた絶望の全容を捉え、自らの創造で昇華させる事に置かれる状態こそが、この絶望や失望や喪失を乗り越え、今に置き換える崇高さに真理を用いず、自らに消化した苦しみに形すら不必要になる。