昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

飛び交う意志


 羽化した意識が、冷めた彼女たちの言動を眺めている。傍観者として、背くだけの物事に反照することごとくが、連綿と引き伸ばされ、飛翔し続ける意識は、端的なアイロニーを疎外させ、退廃的な機能を孕んだ、ランダムな記号を打ち出すだけの退嬰的な考えから、観点は疎外され、壮大な意志へとつながらずに、短絡的なものを崇めることだけが、理想へと近づき、自らを未熟なものとしてたてまつるほどに、空疎なものが引き継がれ、ここで千切られていく部分的な場面に低劣なものを磔にしながら、浸透するものが、自らを捕縛し、混沌としていくほどに葬られる意識は、いびつなものをかかえ、かさばる動機に淘汰されるだけの日々に、時間すらもそこなわれ、そこで永遠性を育むほどに、永遠性に拘束される。ゆだねられた時間から放たれ、そこで数えるだけにむしばまれていく感情から、環境的なものに責任転嫁し続ける先々で対立を深め、軋轢がもたらされ、用いられるものがこぼすエピソードが、あたかも自分のもののように語られる隙間から襲いかかる意思的な過ちが用いる病や、恒常的な不安を敷衍させるだけの観念が形成していくまやかしなどをたてまつるほどに、そこで補足されることにより、魯鈍な者へと変化していくような今を食い尽くすような言葉が割って入り、背徳などを謳いながら、軽やかに飛び交うべき意志は、自らを喪失し、散漫な意識は、儀式的にもたらされるものを、あたかも愛しているかのように仕向ける間にアイロニーは加速し、利便性などを謳いながら、運命論から逃れられず、また用いられた幸福論に疎外され続ける人間性は、宇宙的な跳躍へといたらずに、超過し続けるほどに、システムの犬として、陰鬱な証拠を引きずるだけの短絡的な昇華が施す過ちに用いられる普遍性が愚行を重ねるのだ、と否定的なほどに高尚へといたらずに、徒に過ぎ去る思議をまねるほどに、不倶戴天を持ち出し、大抵の異物感をとりはらうための殺戮へといたらせるような過ちに同化していくだけの区域をもたらすような点と線から、天命をよぎらせ、あらゆる行為に引きこもり、引きちぎられるだけの日常や、貧寒な毎日におとずれるべき小さな愛にすら気付かずに、起動し続けるものの哀れみを加工するだけの秩序から、仮想するものに犯されているのだ、よと科学的なものを否定的に打ち砕くような言辞から、言動から発散されるだけのやましい毎日に高尚さすらも失われ、さすらう意識は、利便性だけを求め、便宜的に処理されるだけの日常の鎖につながれているのだ、と妥当な過ちを参画するだけの数十億の悪意が木霊し、混沌としていく意識は、正義を用いるほどに、自らを悪に仕立て上げるという欠如を忍ばせ、自らの悪意に気が付かず、自らこそが正しいと仕向ける間に出し抜こうと目論む意識は、何かを虐げ、自らを優位に立たせるために、何かを貶め、自らを蔑みながら、君は用無しだ、と叫ぶ間に補完されるような憎悪だけが、世界を覆うのだ、とペシミストは、自らの痛みを解消すべく、すべての痛みと同調し、同化することで、自らの痛みを増幅させていることに気付かずに、すべてに恨みをぶつける間に解消されない痛みは、さらなる痛みを増幅させ、自らが示すジレンマに陥り、そこで試練を謳うほどに、或いは仁徳を用い、自らを問い質すほどに偏るだけにいたらせられるような結末から、形骸化していく意識は、自らの空白を埋めるために、或いは、自らの空腹を癒やすために、何かをためらわずにあやめるべきだ、とあいまいな市場は、神託を求め、自らを須要なものとしないで、すべては、神のみぞ知る、とうながす間に結末は、さらなる悲劇を加速させ、乖離していく意識は、悲観的なままでままならぬ意識を調和させるための対価を求めるほどに、自らに値するものとは相対する。終わらぬ自己との闘争が生み出すジレンマにショートした意識は、自らの罪の意識に滞在し、大差もないのに、そこに用いられる等差により、自らの位置を確認し、認識すればするほどに、自らを貶め、自らを蔑むほどに、老化していくだけにいたらせられるような精神は行き場を失い、求める場所と自らの懸隔が持ち出す理想との埋まらぬような距離の中で、自らを虚偽として崇めるような存在的な煉獄にたたずむ君が用いる空間などは、何かを埋めるためだけに措置される空疎なものであるし、そこに用いられる居場所などは、そこにあたかも存在しているかのように示すほどに、事実からは乖離し、理解を得ようともがくほどに、そこで捕獲され、捕囚として、恒久的な労働に従事させられるだけにいたるような時間から放たれ、自ら飛び交う嬉嬉とした瞬間に、習慣的なものに拘束されずに、慣性から放たれ、法則的な苦痛や、用いられる秩序をあいまいなものに変え、押しつけられるだけにいたるような苦しみから解放されるべく、自らが有するものだけが、存在を確かなものに変えるように示されることだけが、世界が与える影響であるというような過ちから逃れ、自ら果たすことだけが、そこで満たされぬままにまじわり、あたかも存在しているかのように示される今から閉め出されてもなお、自らが求めるものだけが、今に割って入り、現実のように感じられるというあいまいさをかかえながら、自らが自由であると認識するよりも、そこで用いられる自由すらも超越するようなよろこびだけに浸る。