昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

真実の終わり

誰もが行き着かぬ場所とは、どこを指し示すのかと簡単な処理を終えるための日々は、体感すればするほどに値を求め、対比されるものや、堆積するものへと比重を捧げ、鮮明なものすらそこなわれるのは、妥当な意味を求めるために、互いをとがめるような先々で対立を続けるだけの小さな戦争状態やら、情愛にみちびかれ、悲観的なプロセスを経て、浪々とうろつく先に、潤うものすら無ければ、化けて出るような呪いの記憶や、気後れするほどにコード化される精神や、深閑とした日々に意味を求めるから、ここでの価値の家畜として、虐げられるための奴隷として、憧憬に貧するだけの価値観に囚われる途端に、意味とは意思を失い、奪われるだけの今に欺瞞を与え、対価を求めるほどに、とどめを刺されるような予感やらがせまり、生命を責め立てるだけに至るような現在を照らす陽光すら、むしばまれているように感じ、いらだつ精神は、衝動性だけを重ね、懐疑的に至るほどに、自らを責め立て、生きることに希望を見出そうと、行き着く先に現れる場所などに、意味を求める限りに、ここでの意味とは、価値を用い、君を苦しめるために妥当なものを与え、たゆたうことを知らずに、ただ逃げ惑うことの美しさを否定し、あいまいな現在に求めるものこそが、ここでのしあわせを描くのだという幻想から、加算される苦しみへと生じる所以が、延々と生命を従え、真意をそこない、何かを模倣し、法を利用し、理由を求め、流動するほどに、「ここでの苦しみとは、意味を求めるために、とがめられるものであり、出来合のものをデカダンスに変えるためのためらいから、ここで蓄積される苦悩とは、絶えず自らが生み出しているものである」と端末からうながされる規則的な放送が輸送する信念などをねじまげ、堆積される真実などは、枢要なものであり、崇高なものとして、崇めるべきであると騙るような輩を無視して、無残に消えゆくのが、この生命の宿命であり、あらゆる原理とは、言説を裏切り、自らの意志だけで、意味を蹴り上げ、自らの意味に書き換えるべきであるし、あらゆる季節を踏み躙りながら、ここでノイズをうながし、能動的に選ぶものだけが、真実へと近付くのであり、理屈すらも超越し、散漫な儀式を終え、仮説を飛び越え、典麗な時に吐血と嘔吐を繰り返し、複製されるだけのものが、服従を謳うより先に行き、異物感をかかえてまで延命を願うのかと、際限なく加算される悪や、あいまいな市場が作りだした正義の犠牲としての存在なのだと騙るような幼稚なギミックから逃れ、自らの美へと帰り着き、蓄積されるコードが行動を抑制し、揺動されるだけの真実は、真意をそこない、史実を偽装しながら、しなびた価値は、変換され続けるためだけに、怠慢なものや、即席の理由を流用しながら、ここでの価値を確かなものとして、たしなめるだけに終える。暗々とした隙間から瀰漫した宇宙から、広大な理論を戦略的に改ざんして生きてきた我々は、互いのものを奪うためのコンテンツを延々と生み出すことだけが、即席の理由や、即席の自由をたずさえ、散漫な形式を起源に、軽減されない痛みをかかえながら、加算される苦しみの過程を超越することすらできずに、出来合の真実を崇めることだけに専念しているの、だ。