昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

嫌忌

目で見えるものすら廃れた後から宇宙とはひろがったのかと、簡単なノスタルジアに駆られる神話のモニュメントを食い荒らす寄生虫である私たちの戯れから、豪壮に敷衍する星の終わりから簡素な自由を受け取り、この生命というものを普遍的に繁栄させた先々で衝突する隠語や、インタラクティブな掻痒に苦しむ理論的な敗残を繰り返すだけの利己的な生命の制限などから突きぬけて、私たちはたゆたうのであり、あらがうほどに鋭くなる神経が疲弊する前に理想的なものが謳う婚姻などは幻想であるのかと、カタルシスに至る前に分裂的に帰依する意味が乱立する風景の魚たちが、立場を破壊し、反証を挙げ続ける先で、延々と放浪する意識は、翻弄され続けるほどに、愛を求めることだけに費やされ、自分をやせ細らせる。補填されるための愛は絶えず真理を意識に付着させ、記号化する高次の儀式が立体化し、派生する倫理により、私たちは膠着するのであり、そこで崇拝し続けるものの気配に追われては、罪の意識などを加速させ、意思に枷を嵌める。得るための獣として育てられた私たちの高揚感を搾取するための法が加工する現実性などに正確性などは無く、また与えられた社会での決別を余儀なくされるだけの境界などをかき消すために、私たちは絶えず闘い続けることで、革命とは、革命的であるというよりも、継続することにより強固になり、そこで偏執せずに、思想自体を捨てたあたりから、私たちとは創造的な昇華に至り、何かにひたり、場に溶け込むよりも、そこであえて孤立しても尚、強靱に立ち向かう個を謳うような似非アナーキズムにいざなわれるよりも、何かを悪に仕立て上げ、まつりごとのように加速するファシズムの波に反し、関与するほどに、孤独な意志とは、独裁的に至り、いぶかる先に待ち受ける破壊的で暴力的な統合をめざすだけの権力に荷担せずに、自らの力だけで位置から逃走し、そこから抜け出し、逃げ出す勇気こそを賞賛し、算用されるだけの経済的で形有るもののほとんどは、そこで補填されるほどに単に廃れるだけであるし、退嬰的な者が示す役割などに使命などは無く、ただ儚く流されるだけに至らせるような惰性な正義が示す尺度により、よりよいものも見出せずに、打算的に過ごす毎日に流れる血が、破壊的であり続けることに夢中にさせるのが、このキャピタリズムでのリズミカルな生涯の滓を必死に啜るような日々では、単に求める日々で迷子になり、定められることにより、権利とは崇め奉られ、守られるほどに、そこでの正しさとは悪を生み出すための装置と化し、正義のまねごとで、統制される真理の中で根絶やしにされた本質的な愛が懐疑的に至り、ゆがんだ愛はやがて、誰をも愛することもできずに、猜疑心に苛まれ、自らを苦しめることでしか、生きていることも実感できずに、出来合のものを愛する先に待ち受けるのは、誰と居ても孤独であり、満足を求めるばかりで、その場での簡略化された快楽の虜になり、利己的に消費される身体の傍観者として、閉ざされるだけの今に実正と謳われる檻の中での自由を満喫しているかのように仕向けられるだけの快楽的な身体とは、傀儡のままであるし、あらがうことを知らぬ君の成否などに荷担すればするほどに、この身体とは軽くなり、どこにも行き着かずに、宙をさまようだけである。