昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

そうすべては無駄である

いろんなところで自分とは点在し、自分というものは、存在すらせず、不確かに鏡に映る自分を、あたかも自分のように捉えているだけの存在から切り離され、際限なく自分というものは、世界自体でこまかく切り刻まれ、世界というものの中に幽閉される。生を肯定し続ける先に甘美な死が待ち受けるのではなく、死をも乗り越える先に、確かな生が前へ前へと尽きることなく突き進むのであり、そこで孕む苦しみなどは、諦めさせようと迫るルサンチマンの犬や怪物などが、君の足を引っ張り、また歩みを止めさせるための教育をほどこされ、強制的に孤立させ、普通であることが、今に馴染むことのように騙られる間に、この命とは簡単に尽きてしまう。そこでの償いを求めるような者に指図される前に、今一度、考えるということを知るべく、与えられた情報という餌をむさぼるだけの貪婪な生き物として生活に補填される憎しみを喜びに変換するだけの、惰性な生き方などから逸脱し、正解を持たずに、世界を切り裂いていく。制限を孕んだ先で対立を深めては、大義を用いて、耽美な死をねつ造する宣伝的な支配により伝染される快楽の傀儡として、厭うほどに関連し、肥大化する物事が今に覆いかぶさり、理不尽に影響をほどこすほどに老いて行く意思は自分の欠けた部分を埋めるために、あたかも愛しているかのようにほどこされたものを愛しているなどとうそぶきながら、忌憚がないままに入り込んで来るケミカルでクリミナルな意識が、悪意なんかを植え付けるのではなく、それは正義が次々に規制を生み出し、悪を作り続けるからであり、権力を持つといろんなことが邪魔になるから、次々と犠牲を生み出しては、悪に仕立て上げるのであり、自らの悪事を隠すために絶えず打倒すべきものをねつ造する思想も邪魔なものだし、正義を守るために思考停止に陥り、形而上学的な判断とは、善悪でしか判断できないとか、全体主義的な独裁的なモジュールを嵌め込まれ、インストールされた暴力性により、点と線を結ぶよりも、誰かにダイレクトに憑依し、世界を救うように駆逐するような英雄や神をねつ造し、幻想を生きる。その幻想や想像とはすべて可能であり、違う世界では現実に起こったことであり、そこに住む自分も自分であるならば、存在とは、俯瞰でしか見られずに、そこで補完される時間からは逃れられずに、絶えず犠牲的な演技を続け、なにかを模倣しながら、あたかも自分で考えているようで、絶えず脳内が判断を及ぼすままに、快楽的な今を消費することだけでしか、答えにすら擦り寄れずに、今に衰退し、退廃するだけに至るような緩やかなスーサイドからは逃れられずに、自らを束ねるようで、その束ねた糸をもつかめずに、空間に頼りなく落ちるだけの糸を見つけも出来ずに、どこでもない場所をさまよっていても尚、生きようとする強靭な目が血走り、生きたいという思いだけで突き進む。