昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

汚穢

野蛮人が跳梁跋扈する世界の嗚咽を聞いて、この価値のまやかしと、最終戦争すら霞むような破壊的なウイルスのシロップ、場違いな破壊種と、乱立する遺伝子構造の違い、少しの利用から、我々は機械的になり、乗り換えられ、同じように同じようなものとして扱われてしまうだけの代用品としての生活の終わりが近付き、誰もが価値を超越し、語られている愛などというまやかしを確かなものに変えるために言葉や文字すらも超えて、うちから自然にあふれてくるものを愛などと名付ける以前に、私たちは愛以前に愛であったと、ただひとつの愛のようなものであり、そこでの価値などは瞬時に飛び越え、補うなどとなだめるより、なにかを利用し、近付いてくるものなどを挑発し、ただ愛とはそこにあると認識する以前に、「それ」は確かにそこにあり続けていたものであり、愛と名付けられてからは単純な価値に変わり、なんにでも代替え可能な物としての機能としてしか働きを加えてすらいなかった愛などは、一度むすばれてしまえば、互いを羨み、蔑み、ひどく恨み当たり散らすだけであり、そこでの感謝はそっけない価値に変わり、独善的に独占し占有するためだけに監視して管理し、加算されるべき愛は対処するための金銭に統合され、自らの欲を抑えきれずに、支配的にむさぼる輩が示す価値から締め出されたら最後、愛と名付けられたニセモノの愛にすら愛されなくなったと虚しさに駆逐される。このカタストロフは全てを取り戻し、凡庸な物としての日々と総和し、ほんとうのしあわせとは、しあわせであるべきだ、と強制されるよりも、自らがしあわせを作り出すべき闘争へと至らせる。闘うことは義務である、と犠牲的な神を生み出し信用などを謳う奴らを蹴散らすための闘争へと、この恒久的な怒りはペシミズムを乗り越えて、悲観するよりも速く、この陥穽を飛び越え、新たに打ち出すままに生み出されたものと際限なく戦い続けるために反発し続ける。私たちの本質的な争いの彼方には絶えず終末論が近づいては、意思的な地殻変動をほどこし、悲しみに暮れるだけの空白でせめぎ合う価値的な終結や、終焉に巻き込まれ、厳選される人々の藻屑や、その場でうやむやにされ、制限されるほどに滅びへと近付いては、先々でほころびを生み、寝転んで見上げる空には健気に輝く星や、季節を封緘して送った手紙の数々が、ジレンマを生み出し、倦怠感を抱えた人類などは自らが作り出した虚栄心により駆逐され、気が付いたら飢渇し飢餓するだけに至り、誰もが猜疑心に苦しみ、再発してゆく病の先々では過ちが加速し、過激な支配が啜る市民権の取得的な妄想劇から、帝国主義的な衆愚から、ミリタリズムの復古に浸るだけの悲観的な観点からファシズムは生まれ、意識的な枷により、一過性の怒りは際限ない虚構を生み出し、すべてを踏み台にして、この最高な終わりへのプロセスの中でがんじがらめになるだけの気配に背景すら歪んで、愛されていたことすら忘れて、また利用し利用されるだけの間には詐欺師であふれかえり、また触れ合えば、誰がいくら儲けたとか、誰が不倫したとか、と付きまとう体系的な情報には、退屈を蝕み、退屈さを加速させるための情報を絶えず自らに巻き込み、自らを退廃させる。