昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

俯瞰

哲学を知る前から、幼少期から哲学をしていたし、幼気な私を、包括する現実なんてものを、信じられないからこそ、哲学するのよと、促す太陽と手を繋ぎ、手当たり次第に破壊するのではなく、書き換えたり、構築したり、放置したりして、観察し続ける間にも、世界とは、信念などなく、純粋に破壊し続けるものであると、教え込む学校教育や、愛しているようで、いつも、愛してもらってばっかり居て、凍てつく身体は、幼気な春に葬るまで、この冬空の最中、ぶちまける感情が、虚しく響く心の中、重複する思いに、服従してばかり居て、徒に消費し続けるだけの、堕落した主観がフラクタルになって、脊髄反射を繰り返したりして、恋とは、重くて切ないし、若くあるよりも、自分らしくあるためなのに、依然として、数字に囚われてばかりいるから、超越だって、出来ないわけだし、と五月蝿く付きまとう自分の中での自分から、細分化して行って、また、君と出会うまでの距離に値するものなんてないし、寄り添うほどに、なぜか離れて行く心の中で注意散漫になってしまうだけの、全くの価値を打ち砕き、惰性で引き延ばしているだけの、悲劇を換算して、回転する呪詛や、ただ、繰り返し、正しいものであると、刷り込まれて行く事により、正しさとは、曖昧になるし、そこでの正しさは、正しい事を、単に証明するための、犠牲を次々に生み出し、正義と名づけられた健気な悪が、さらなる悪意を引き出し、今に悲観してばかりいるし、習慣的なものにより、はびこる思いが、今を超越し、厭世観を飛び越え、確かな愛に行き着くまでの、この茶番劇の最中で、頼りなくも、干渉して来る意味合いを昇華させ、詩的な生業だけで、いつも裕福なままで、怠惰で耽美な瞬間を、愛し尽くすのである。f:id:jibmfmm:20250114092529j:image