昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

春の衣装

単純な快楽などで満足せず、永続する快楽と共に永遠に進む。憎しみも遥か高尚なものに捕まえられ、延々と正義を騙るだけの連中を見抜き、惰性で保たれた物事の境界なんかをかき消し、制限も持たずに、遠のくだけの瞬間がためらいを生み出し、奪われるだけの主観から産み落とされる物語の卵や、惰性で引き伸ばされた思いをついばむ子供達のくちばしの愛らしさに、出現していく思いが抵抗を加え、犠牲的な平和が持ち出すあいまいな構造が収斂し、実現不可能とされる平和をとがめるだけの出征や、出願によりそう価値には、カタストロフを与え、体たらくない出生や、名付けにより、そこで張り付き、はりぼての理由に左右され、最たる意味を紡ぎ出せずに、彼らの達成感に寄りかかる理想が、偏りを示して、今に締め出され、支配的なものに根絶やしにされ、騒ぎ立てるだけの連中が乱立するアイロニカルな街では、論理的なものなどほとんどなく、そこで補填される罪や、見透かされる今にかさ増しされるものや、中毒化した君の過信から、進化するほどに邪魔になる物事や、そこで齟齬し、塗りたくられたものによりベタベタにされ、見えなくなってしまった本質の層に敗残されていく真実が、絶えず憎しみを孕んでいき、逸脱する常々に競い合うことでしか、自らの正しさすらも生み出せぬようなあいだに遭遇する価値的なまやかしに、哀願を繰り返す愛想もない私の終焉の尾をつかみ、つたない現状を嘆くばかりで、真実にも達せずに、幻想に取り憑かれ、襤褸を着込み、機械的な道理に支配され、情報過多なゆえに、頭でっかちになり、馴れ合うことで補填されるものが、朗々と物語を引き摺り回し、悲観的な観点が描く真実も途絶え、ただ作り上げることだけにしか、意味を見いだせぬから、と作り続ける先には終わりはないからこそ、確かめる必要も、思い出す必要もなく、続く先には、終わりがないからこそ、よろこびを感じる必要も、何かを与えられる必要もなく、代償すらいらず、甲斐性もなく、晦渋なままに、疲憊してもなお、この退廃的な頭で、数多の事実を撃ち抜く。

応用されるたまの夏

濡れた君の髪、みどり色のサンダルと、焦げた目玉焼き、刹那は殺伐としているし、この宇宙での描写からは逃れられないし、霊廟から吹き抜ける冷たい風が、すべてを化石に変えるし、かさばるだけの昨日と、叶わない明日が混ざり合い夏になる、とビー玉の中でくるまる猫がカタルシスに至るまでの距離に基づく計算式を裏切り、まつわるほどに憎しみに変わるだけの生活から抜け出して、清潔な夏に帰還する。君の論理的なとんち、カンカンと鳴る階段の音が紊乱なものや、わざわいを伝える。夏のざわめき、川沿いの饐えた匂い、エタノールの雨が降り、セミが鳴き止み、闇夜で契りをかわす君たちの荘厳な恋が実る。ベランダから眺める懐かしい君の産毛、鞭毛につつまれた古代からの部屋、抑揚のない返事が反響する退屈な今朝、配線が自由に繋がれている故に動かないテレビ、届かない声と声がぶつかりあって出来たのが、この宇宙らしいんだって語る少女が羽化するまでの修羅を超える宮沢賢治、上空でパチパチと弾ける入道雲、君の枷を外して、バックミラーに君の口紅で落書きして、静観する夢や幻の先では、理解を超えた世界から生まれてくるものが、物語を調律し、あざやかな音をかなでる君は遊びまわっても潰えない身体を持っているらしく、このくたびれた空間を縁取る意味もない出来事の繰り返しを走り抜けては、大人になっただらしない身体を恨みながら、しいたげられていくだけの世界に責任転嫁して、世界を憎むことだけに専念する。カニバルな連中が支配する社会が宣伝するデカダンスな看板が、デカデカと都会を縁取る。この世界という監獄で感電している君の心音も聞こえなくなり、この世界では、命に価値はないらしく、あったとしても、生きるためだ、と狩られる運命なのだよ、と斡旋されているだけの奴らが悲しそうな目で見つめる先では、愛のようなものが、胃の中でほどけていく。世界とは奪うためではなく、生み出すために存在してはいるが、その存在を配合し、存在意義などを見出すために奪い合う戦争が生態系を崩していき、慈しむ隙もなく、欺瞞ばかりで、いろめき立つほどにずれていってしまう今の戦利品は唯一、終わらない夏だよ、と笑う彼女の横顔だけが、鋭利に私を傷つけるあいまいなストーリーがブクブクと太る前に、君も世界も裏切って、はなから誰も信用に値しないし、値したとて、そこでの価値などはカチカチに固まって、瞬く間に私を傷つけるだろうから、このカラカラに乾いた夏を愛するために、その終わらないと騙る夏に自ら騙されてやろう、と思う夏の始まりとまじわる春の汚穢とたわむれ、浪費されるための忌々しい欲との対立を終え、退屈に吸血されるまにまに現れる苦しみに似たようなものから決別する夜の合間に現れる曖昧さがこじつけるものから乖離していく。

抗体

支配を強固なものにするための神が嘲笑う。何かを否定してノスタルジーに浸る連中が示唆する倫理観が強制する正義により、抑止力が働き、身動きもとられなくなった君の一体感なんてものは、同一化により安心に至るような安心感なんてものは幻想であるし、あらがうほどに現れる窮屈な結末を引き伸ばしては、あいまいな日々が促す不平不満なんかにより、現実味を失い、補足されるほどにためらう君の足取りは重く、よく見れば足枷をはめられ、世界という名ばかりのものに囚われ、与えられた名により屈従している日々は卑屈な理屈をかかげ、不屈の精神を知らずに、生産的な日々は採算を合わすことに必死で、支配されることでしか得られない安心感により左右される意思は簡単に還元され、完成することもなく不安定なままに大人になった彼や彼女たちが促す批判的なものに囚われ、途端に意味を履き違え、機械的な道理に隷従する。あらゆる悲劇が促す嘆息、あてがわれた罪が即すものに服従して、複雑になってしまった精神は、悪意を抱えては、憎悪を復元するための、異形の物と化する存在の不確かさに苦しむための教育こそを破壊するための哲学を嗜む。公用のものが強制する事柄により追い込まれていく君の罪すら消費する法の道具と化する。横柄な死を乗り越え、応用される真実や、私利私欲を重ねるだけの寸胴な史実などをひっくり返し、毅然として血合いをほどこし、血の抜けた空虚な身体につめこむ裕福なだけの過去や、ここで過ぎ去るための遊蕩に耽り、生まれた途端に名前という病をさずけられ、与えられた義務により提示される一切が路肩で眠り、リズミカルな衝動が、この肖像を傷つける間に、すべては理性を損ない、生じる痛みに乖離し、逸脱するすべてはつぎはぎになり、愛したはずのいつかの思いも、静謐に磔になり、いっしょに居るだけですれ違うだけの日々で摩擦を繰り返す。修繕できないほどの溝からあふれる鬱鬱とした焦土、朦朧とする意識が妄想を繰り返し、森羅万象や真理を汚すための動機と同化し、数々の過ちにより虐げられ、今に従うほどに引き摺られる意思はずれてしまい、ずれてしまったものはずれたままで、二度と合わさることはない。

耽美

艶美な結末が縫い付ける日々、ためらうこともなく、食べ尽くす君と意味のあいだに浮遊する意味合いが不可欠になるまで、ナショナリズムなんてなあなあなままに無くして、私が私であるために交わす言葉が延々と結ばれて、手なずけられず、ただ懐かしむだけの君たちが食い尽くす退屈な午後を超えて、刹那に基づく言葉がうとましく絡まり、慢性的な痛みをひけらかすあいだに、そつなく現れるあいまいな事柄の多くは、おとずれるものの奴隷であるし、どれをとってみても、突然に現れるものに蝕まれて、自分をはばめるものばかりであるし、はがゆく募るものが合致すらしないで、支配的に覆い被さる問題のおうとつに苦しむばかりであるし、あらゆる偏見を宣言するセンテンスにより、文明とは発展してきたのか、と汚い価値が機械的に現れ、愛情などが偏屈に嵩張り、貸し付けられた意味なんかに強制的に押さえつけられ、自らが横溢するものにすがり、擦り寄るものに廃れるだけのいびつな君の理想などがなぞる日々の結末にそぐう価値などを謳う論理的な衝動と、自動的な必然性がつきまとう普遍的な憎しみと温もりのあいだを爪弾きにされた君の文明的な欠如に接続される不潔なエナジーにより、日々の病は加速するのであり、忙しく動き回るほどに、この命はすり減るのではなくめり込み、今に身動きがとられなくなり、どこにいても満足できずに、慢性的な痛みを加速させ、意思に枷をはめ、はびこる悪意を詰め込んだだけの空虚な身体がうながすキュビズムや、約束したり、火傷したり、と夏、雲がもくもくと羽化させる瞬間に記号化されたアンニュイとした肌をすべる汗を見ているだけで永遠をも超越し、自分の内面世界の旅路に出かけ、エラーが起きる頭でたまゆらを卑下しながら、なだらかな論理を超克して、強制的に排除されるよろこびを爆発させる。この命が次々とめくり上がり、次なるページを燃やしては、さらに先へと進むことだけに専念して、鮮明なのは、今ですらなく、ある一定のもののどれもが、何かの奴隷か、チンケな経験値なんかに変わり、何かにそぐうことだけを目的に同化したり、どうにかなったりする君の顔なんて見たくもないから、雲隠れして、ひとり日々を笑い飛ばす。

借り物の自由

終焉を巻き込み、他者から借りた借り物の叡智により、豊かな物語が跛行し、延々と続いてきただけの成否に基づくものに躓き、うとましく促す悟性と、制限を利用し、ほくそ笑む連中の隙間から収斂する風でうずまく桜の花びら、寸前の描写にとどまり熱暴走を繰り返す春の汚穢、みちびく術は、すべて独善的であるし、自分をよく見せよう、と欲張りな連中がほおばる面影もけがらわしく従順で、想いを馳せるほどに外れる通りで暗澹としてうつむくあなたの手から生まれる仄かな愛すら、わざわいに変わる、と騒ぎ立てる連中が示唆する支配的な日々に配膳される毒入りの食料により洗脳されるとか云々と、陰謀説を語る奴らの目は確かに濁っているし、自らをわからないから、抑圧し、あたかも自らを理解しているかのように、思い込ませるだけの、いたたまれない自分を慰め、出し抜くためだけにうそぶくものに左右さる、君も私も狂っているし、正確なものなどほとんどないし、そこで補填されるものは、自らの汚点を隠すために簡単に人を騙し還元するために歓迎され、同化したら最後、すべてを吸い尽くされても尚、まだあるだろう、と求める餓鬼どもの腹を叩いて大笑いするために、この命とは価値すらも破棄し超越するために、笑うというものは絶えず生まれる。春の終わりと狂気的な一部始終に孵化する思い出もそつなく終焉を迎え、いびつな真実により迷い続ける君が迎合するものにより、事実とはぺしゃんこになるような儚さを知らない限りは、中身がないものに指図され、利用されるばかりであるし、宣伝は脳内に突き刺さり、簡単に消費されるためだけにはびこる悪意の虜になる。抜け駆けはゆるさない、とつきまとう恨みつらみから逃げ惑う。自らを惑わすものは、自らであるし、あらゆる偏見を払い除けられずに、除け者にされていると拗ねている暇もないし、悲観的な彼岸に寄り添い、赤い季節に縁取られ、ドラスティックで一過性の快楽に寄りかかり、かかずらうだけの瞬間にためらいを生むよりも早く逃げる。

迎撃すべき罪

洗いすぎてちぢんでしまったセーター、いたたまれない血を流す子供、虚空をなぞる老人の指、浪費的な彼女たちや、彼らの動機が猛獣のようで、無償で愛したものすら退屈に包まれて、体系化したものに引き込まれて、憂鬱から逃げるように夢うつつな今に飛び回る羽虫、スタッカートに隠されたプレゼント、撹拌される理念や、昨夜に隠された意味を吐き出す声や、飛沫を恐れる時代の悪阻、凡庸なラブソングが流れるハリボテの楽園、奪い合うためにためらいもなく争う刹那、愛は有効なものを失い、ないがしろにされた思いが遠くで破裂して、馴れ合うだけの日々のミニマムなファシズムにより、オーガズムに至る大人たちの衝動が律動して、立体的な音が家を建造して、眷属たちがうごめく修羅と霞むアイロニカルなセンテンスが引き摺る余韻や、引用されるだけの日々を束ねては、ねんごろになるために、私たちを燃やすために出力をあげるレーザー兵器、ニヒリストたちが仏教的なものに没落するころ、このつたない永遠と付かず離れずなままに孕んだ静謐な思いが集合しては、手なずけられるための合否に揺れ、悠遠ではとめどなく弔いを羽化させる鳥たちが迎撃され、生殺与奪なんかを謳う教室の重たいカーテンが、夏の分厚い風で生きてるみたいに動いていて、誰もが聞いていない授業の片隅では、スマホを隠れてながめては、いいね、と和むしあわせも時折に折り重ね、かさばるだけの思いが画面を手垢まみれにして、支配されては、そこでおとずれるものがだんだんとずれていく関連性を超越するために、私たちは、誰の言うことも聞かずに、高尚なものに移行するための脱皮を繰り返し、自分が踊りたいように踊り、自分の飛びたいように飛ぶだけであるし、あらゆる意味をつむぐ観念が泥濘に嵌る前に、このバビロンのびらびらな襞に捕まえられて、身動きがとられなくなる前に、ドレッドヘアかなんかにして、価値観を崩落させるための自由や愛なんかを難解に消費しては、晦渋な文明を泳ぎ切る。

超克

本の中で隆起し、うごめく文字、聡明な光を放つ瞬間的なひらめきの汗、永遠を騙る男の口から生まれるおぼつかない主観、そのようなものの集合体たる宇宙が抱える修羅、あらゆる原理に反発するために産まれた私は、際限なく考えを枝分かれにさせ、嗄声をうながす夢の彼方、散々な現状で認識するものにより、自分との乖離を深め、現実に対し敵愾心を燃やす。求められるほどにとめどなくあふれる理由が流用され、真実とはうやむやになる、と語るような者こそ、真実を利用し、誰かを支配する。そのような伝染する病を繰り返し加速し、流動する欲が全宇宙に波及し、我々は物質であると確かに認識し、この世界とねんごろになる。なかよしこよし、と手をつないでまで、何かと同一化し、自分という存在をあやふやにするまでに恐ろしい自分という存在すら超越できないで、何ができるというのか?誰もが誰かから切り離されたいが故に謳う普遍性こそが、世界自体を偏屈なもので覆わせ、横暴な支配を加速させる。ライカンスロープが徘徊する満月の夜、スリランカ産の紅茶が鼻腔をくすぐり、肉食獣たちが抱えた獣臭さすらかき消すほどのこうばしく深い香りには、一切の不快感は存在しないということを認識する自らに投影すべき事実すらつたなく消え去り、この数秒に受理するものが乱立し、全体を見辛くする。百円橋を越えて隣町にまで敷衍していく意識的な交通、濫觴するもののどれもが意思を奴隷に変えるばかりだし、打算的なシンフォニーがこぼれる論理的な逍遥、都合の良い話ばかりが繰り出される画面上の獣道を進み、性差などはほとんどなくて、今思い返せば、愛したことなどは、一回もなくて、ただ愛しているかのように幻想していただけであるし、愛するという技術すらないのに、何故か愛しているかのように思わされているだけに満たない。良い子そうに写真に写る彼女たちの局部、実体も微かな災いにより妨げられ、存在していることすら不確かなままに今に収容され、存在していたことすらあいまいなままに消滅する。