昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

飲み込まれないように

面影も味気なくその場で弾ける。あらゆる時系列を飲み込むブラックホールや、崩壊していくだけの宇宙空間の中でのアニミズムを加速させ、すべては溌剌としていき、自らの異物感を取り除き、簡易な悪意が攻め入り、生命に制限を生み出し、奪われるだけの命が、さまざまな思惑に乖離し、理解などを超越し、延々と妨げられるだけの今に懐疑的になったり、改ざんしたり、と自らの悪意に匿われ、居心地の悪そうな世界からは逸脱すべきだ、と耳打ちし、やましい記憶からは曖昧な過ちが枷に変わり、あらゆる弊害を今に生み出し、惰性な世界から引き取られた制限やらがうるさく付き纏い、聖戦やらを謳いながら、苛まれていくだけの今に寄りかかる罪や、緻密な意味の中で果たす義務やらがギミックなんかを作り上げ、犠牲にされるための市民なんかをコピペして複製したり復元したりしながら、懐古主義やらが語る昔は良かったなど、と促す原理は今の苦しみを避けるために、昔は良かったなど、と誤魔化すだけであるし、あらゆる罪は君たちのものである、と背負わされた罪の意味も知らぬ子供たちにまで背負わされた罪により圧壊していく今には、罪の意識ばかりが敷衍し、あらゆる罪は分け合うべきである、と促すようなコミュニストなんて信じられるわけもないし、はなから罪など無かったのに、罪を作り出し、抑圧したり統制したりしていい気になっているだけなのであるし、あらゆる罪は誰のものでもない。昔話の中でのバナー広告がチカチカ眩しい。不信感ばかりが募る行き先もなくゲシュタルト崩壊し、混沌に遺棄される精神。現時点などはなく、ただ行き過ぎ追い縋るか、はたまた置いていかれ、誰かや何かを恨んでばかりいるかして、そこで生い茂る美味しそうな実を頬張ることもしないで、その先にあるものへ直走り、欲望のままに加速してきた我々の幼稚な企みを擁護するような連中な示唆する支配的な街並みには誤りばかりが躊躇いを生み、誰かを騙すことばかりに専念している。計り売りにされる命が切断され、截然たる様子の君、犠牲的な聖者が謳う真理などに騙されたくもないし、屈折した輩が叫ぶ正義などに煽られるはずもないし、静謐に見つめる先には、正解を煮詰め、黒焦げになってしまった答えのようなものが、次なる過ちかなんかを謳い、難癖つけるだけの連中が支配する堕落した今朝や世相や予想などに漁られた価値が次なる苦しみを繰り返し攻め入り、今に制限を加える。

萎れた足

バビロンをウォーキングするストーナーたち、乱立する倫理観により入道雲みたいなヘアスタイルで怒りを解き放す主婦たちのトキシック、紅蓮にたなびく夕暮れの空疎な時間こそが、何よりも至福なのだ、とこの詩情に反するような余韻がネガティヴにはだけて、惰性なエロスが絶え間なく波及され、去り行く動機がクヨクヨしながら、しなびた一帯に果てる苦労のようなものが余波を生み出し、奪い合うための動機にためらう一切が回転して、資本主義を回し続けるのだ、と胡散臭い学者がカタルシスに至り、理性などが吹き飛んで、不感症気味な君の連帯感がなびき、仮説がうながす接続を強要する境地に無神経に捧げられる本質などを崇めるための汎神論などが、凡庸な価値を果物に変えて、それを食した始まりの人間が云々と語るあいだにも、磔にされる曖昧な自己とアポトーシスと、凍傷により茶色く変色した肌と、仇討ちなどがたび重なり、神は誰なのか、とスピノザが鎌首を持って迫る窮屈な朝、利便性ばかりが加速するコンビニでの会話、胎盤がこぼれ、籠城する真理が保つべきものは、この世にもあの世にも存在しない、と此岸と彼岸のあいだに被弾した自己を再生させるための、機械の中に閉じ込めて、幼児退行的に伸ばしたロン毛が嬲る血色の悪い季節の折々に入り混じる愛憎などが、二人のあいだを引き裂いたとか、都合の悪いことは、世界や世間のせいにして、自己憐憫を続けるだけの力のなさを嘆くべきであり、その力のなさこそを超越するために、私たちは生まれたのである、とあらがう先に現れるものは、何か足りないものばかりであるし、君がうなだれているあいだにも、誰かが勝った負けた、と儲かった、儲かってない、と勝手気ままにうながすような奴らがひしめくし、それに便乗して批判している私も踊らされているだけであるから、踊ることはもうやめて、ひたすらに静謐に鎮座し、制限もなく世界を超越し続けることだけに専念するのが、私の役割である、と。

希望の城

欠乏していくだけの未来が熱暴走し、森羅万象を踏み台にしてまで、信じたものにすら裏切られ、謳われる真実と、入り組んだ意味の中で加速するファシズムの道具になり、偶像崇拝を続けるだけの幼稚な企みにより、有する価値はカタストロフを迎え、無実なものにすら罪を与えるような連中の不安感に煽られ、あいまいな結末の中でそぐうものになるべきだ、と矯正される間に、存在とは不確かになり、誰かと似ていることで安心させられているだけに満たないのにもかかわらず、抑圧され続けるあいだに査定され、サディズムが加速し、与えられる苦しみの中での快楽に酔いしれ、意思のない傀儡として、与えられる痛みの中でしか、その存在を自覚できないような存在とは、ただその痛みの中でしか生きることができずに、ただ与えられた痛みが形成する存在のようなものの中に隔絶されることにより、新たな痛みを形成し、乖離していく存在と自己のあいだに生まれる確執のようなものに延々と阻まれ、自らを損ない、行いの中で生まれる苦しみや畏怖を抱きかかえ、悴む記憶の中で結ばれる羅列やレトリックや、冷然とした自己の全容が吐瀉し続ける喉を滑る快楽の虜になったり、べったりと張り付く他者から与えられた快楽の利己的なコイルが与える熱や描写や、摩擦により、リフレインしていく自らの内部で膨張していく自らに対する憎悪が、新たな自己を形成し、分裂していく意識は、一定期間の開放と、恒久的な抑圧により、超自我は妨げられ続け、健気な自らの道具として、記憶装置を壊す悪質な電気として、経路や回路を踏み潰す怪獣として、事実に介在する聡明な精神科医や哲学者を飼い慣らす自己中な神として、相互する意識は軋轢を生み続け、誰が自分かすらも理解できなくなるほどに粉砕され続ける。

迫害

迫害を受け続けた君の航路、異質な季節の構造が緻密な最後を終え、流動する面影にはためく記録、量子的な木漏れ日、ネガティブな秋刀魚を開いて、そこにかける醤油と乗せられた大根のすりおろしとの差異、紊乱と焦土と従来する意識、記憶に水をやる如雨露、猜疑心ばかりの君の欺瞞や、不満足を歌う施設で噛み締める永劫、派生する動機が収斂され、つたない思いからだんだんと迫る冬に比喩を綴り、表現されるものが際限なく加速して、健気にむすばれた二人が慈しむ瞬間に循環するものが静謐なものをたずさえて、痺れた大脳から、集約される器官の彼方から、価値観を破壊した世界の中から、終焉から加速して、すべてを吐瀉する慈愛が漁る憎しみから悪趣味な神が創造した想定の範囲からはみ出した私たちの未来などはなく、すべてはここで必然性すらもなくなり、主観すらも破壊され、さびれた記憶が目視する綺麗だったあの頃やあの子や、ここで拘泥して、高揚感すらなくなり、ひたすら浸るだけの奴隷化した意思が中庸すら失う。希望すらも損ない、そこかしこに現れる過信が加速し、誰もが猜疑心を持ち、誰かは誰かを恨むために収容される施設たる地球の中、堕落したものが加工した論理が逍遥し、すべてを調和し、真理を超越していく。逃げ出すべき場所を持つこともなく、持つものや持つことにより生まれる責任なんかに苦しむわけもなく、かわるがわる現れるものにはためく道理が、動機すらも捨て去り、ここで現れるもののどれもが何かに引きずられ、泣いてばかりいるから、と切り離し、気配を隠し、変遷や偏執や生成などが超越を繰り返して、くたばる隙間に呆然としている合間に、すべては駆逐され、すべては無かったことにすらなる。

ふくよかな星

ノスタルジックな面影がじゅくじゅくになり、開いた傷から流れる血が、挫けた今が擬態化し、乾燥した世界には、砕けた歌詞が飛び散り、世界に色を与えてはみたものの、すべてが瞬時に色褪せ、今に終止符を打ちたい、とこの囚人みたいな日々に別れを告げるべく、つたない罪や犠牲や議席や償いなどが、言い訳がましく募る今に肥大化する意識的な災いが卑劣に司り、ドルや円の大団円の最中、私は角膜に浮き上がるガールフレンドたちの亡霊と踊り、論難が打ち出すマントラ曼荼羅に集うことにより、擬似的な意識の革命などを得た、と勘違いを施すための宗教的な脅しに反発し、オキシドールや、開いた瞳孔や、取り止めのない日々に途端に集合する物事や、神々しくきらめく太陽、ジュラ紀から進化してない脳が、やがて超然としたものを生み出して、今にエモーションを吐き出して、詩的な理想を構築し、此岸に意味を与えるために延命し、永続する命が、うわべだけの幸せに剥奪された本質的な幸せや喜びを取り戻すための闘争の雨の中で、すべては体裁を保つだけの意味のない繰り返しのように思えてしまう、と嘆く君の互換性が古い、と云々、この静かで邪魔のない生活にも魔法みたいなものが降り注いで、宿り木を探す木々たちの黒ずんだ顔にもサヨナラを告げて、さまたげられるだけの法を根絶やしにして、すべてが飽和するまで間引きされるだけの今からエクソダスして、粛清のために降り注ぐ隕石や、定期的な滅亡を誰にも会わずに見つめる形式的な美とニヒリズムの曖昧な祭壇に登り、供儀として捧げられた連帯感を即座に解除して、解放される思いも崩壊して、ただ重いだけの物質として、位置的なものから逸脱できずに、その場に居続けるだけの日々の中で纏うものなどは、どれもボロボロではあるが、それなりに味があり、どれもがドレスやタキシードに変わるまで、哲学的に事象を積み上げるのです。

世界の痛みの値段

どんぐりで遊ぶ猫の様子、文字化けした世界で継続される資本主義的な偶像崇拝、崇めるべきは、どこにも何もないのに、あいかわらず保守的な理想とは、何かを保つことに理由はなく、理念すらなく儚く散るだけに至るような日々の中で継続されるようなものなどは、意思もなく、ただひたすらに流されるだけで、すべてを鵜呑みにし、考えているようで、考えさせられているだけであり、理由も理屈もなく、ただひたすらに何かの傀儡であることに往来する不平不満の道具であり続け、閉塞的な今に屈従し、瀰漫する不満足の道具であり続け、理屈もなく、ただ悲観的であることで老いる結末こそが、安寧であると、宣言するようなリズムや主義が横柄に反復を続け、テクノミュージック的な反復を反芻し、革命的な覚醒に至り、事故の秘密の鍵を開けて、さまざまな思惑が重複する複雑な真理の青々とした部分に分岐する理由から離反し、はびこる悪意に服従させるために備わる正義により、さらなる犠牲が生まれるあたりに制限は絶えず加えられ、誰かのための道具であるために同調圧力により、何も語らなくなった君のために用意するスケープゴートたる文字であり続ける私に支払うべき利子すらなく、ただ理性に制されることも、諭されることもなく、ただもたらされるものを覆すために生きながらえただけであり、生きたいなどとも思わずに、おこがましくも生き続けたことに、ありがたみなどを強制する輩などは、権力に去勢された宦官であるし、官僚的な支配により、意味を見失った目先の快楽の傀儡たるこじつけの王子たちが、立場を利用し、さらなる支配を生み出すための踏み台たる君たちの心情や私情を煽るような連中にも支配されないように、自分で考えるために、考えることを辞めさせるために去勢されないように気をつけるべきであるから、流れる情報を鵜呑みにして、腹一杯になって、その場に横たわらないようにする。まんぷくとは満足を生むのではなく、怠惰になり、機会を失うために足を重くする云々と、金言や性悪説がアクセスする苦悩などに正解などはなく、ただ答えを押し付け、固定観念を破壊し、誇大妄想を生むだけであり、そこには満足はなく、破壊だけを次々と利己的に生むだけであり、あらゆる繰り返しの中で発展し、過渡期を迎えることなく加速し、凄まじい勢いで超越を繰り返した私たちには、理性などはなく、ただ強要し、強制的な去勢と矯正を執り行い、あたかも世界の本質を掴んだかのように示すようなことやものから、はみ出す者を許さない的な不倶戴天の敵を次から次に生み出し利用し、ストッピングストーンとして、ストーンしている離反者たちの淀んだ目で眺めるメディア的な明滅により、何も見えなくなり、快楽的な信号が脳内を往復し、複雑な精神の回路を瞬く間に破壊するだけに至るための情報的な戦争の犠牲者をたくさん生んだか生んでないかは知らないが、このたましいは誰にも何にも売らない。

冬の比喩

懐疑的な襞にくるまれ、空白に浮かんだナルシシズムのしじまに蕩ける時間、おおらかな嗚咽がなびく冬の朝、自堕落なカフェでがんじがらめになっている君の誇大妄想の生き血を吸う蛭、有用なら史実にからまる月日と証拠も残さずに越えられて行く私たちのつぶらな瞳、つたない悟性を掻きむしりながら、掻きすぎた皮膚から伝う血の道を歩く羽虫たちの興奮、時代に制圧され、圧力に屈するあたりから繰り返し利用されるだけの人々の墓地、連動していく刹那や、対象的な敵意により倫理観は崩壊して、支配されるほどに新鮮なものや、鮮明なものすら失い続ける君たちの着膨れした真理に基づくエゴ、傲岸不遜なままに爛れた意識の波形、経過していくだけの歪な君の様相、反するほどにふやけて行く季節の面影、迎撃されていく存在の底冷えに、ミリタリズムが促すみずみずしい予感をほおばりながら、錆びた季節に混じる余韻や、悠遠で肥大化するアイロニーなんかがこじつける意味合いが不潔に浸透するまにまに現れる軋轢や、等身大の思いなどを謳う連中の悲惨な信念に基づく答えなどが普遍性などを用いて、約束を簡単に破り、現れる罪の子供になりたい、とうそぶく君の現世が軽薄なカルマにより位置付けられた罪の模様や、陽動されるだけの君の理想には、理性などはなく、ただたび重なる痛みにより、恒常的な健気さが独白する詩的な様子だけが、この命に正しいものをコネクトし、さまざまな理由が連なり、あたかも正しいもののように氾濫したり繁栄したりするものには、中指を立てる。