昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

君のための世界


 散文的な夜を孕み、朝帰りする身体に定理が生まれ、何事かにとどめよう、と攻め入り、制度を生み出し、生きにくくして今を捉えよう、としのぐ思いが繰り上げる現在に貧する形や、価値を用い、意味の中で、倒錯させ、自由を奪うだけに浸る意味が、簡素な結末を生み、似たような結末に浸り悲観するだけに堕落し、自らの欠如を抱え、悲観的に至るほどに、補填される苦悩が、空虚感を与え、今の苦しみに浸るべきだ、と正義を利用し、今に屈従させるために、ためらわずに、互いを利用する。関するほどに、感覚は失われ、猥雑に攻め入り、制限を生み出し、今にも倒錯する先々では、戒律が絡まり、意味を失わせ、今に迷うだけに至らせる。自分の死と世界を同化しては、ならない。あらゆる死は、世界に包括されず、世界の外に、引き離されていく。それに気づかぬ限りは、恐怖や不安は、拭えぬ。欲のままに動くのが、人間らしい生活であり、そこに蝕む関係が生まれても、拒むことはできずに、欲のままに、今に虐げられていく。狂騒に混じる私の孤独が昏睡し、深夜になびく思いがねばつき、場所を選ばずに慟哭へと誘い、保身を考え、勘定されるだけの生死が、自らの軽薄さを加速させ、今に苦しみ、永遠に入り混じり、夜のしじまに溶け合う理屈とリンクし、手当たり次第に不安を膨張させ、傍受されているなどとうながす被害妄想的な逸脱から、いつの日かの悩みは、泡となり消え、物事の飛沫を追うような問答に同化する意志的な終わりから、ガラスの靴に履き替え、誰かの迎えを待ち、まじわる先にリアリズムすら無くなり、内面的な美化を求め、繰り返される意味に仮死化し、ゾンビになって蘇り、今に帰還し、関するほどに戸惑いを加速させ、世界に差を用い、何かを排除する輩が用いる定義を持ち出し、教えを請い続ける者を従え、その場に屈従させ、惰性な愛をはびこらせ、破壊的な描写を用い、愛がなんたるかを説教するほどに、自らは、愛に懸隔を用い、愛との距離を開け、猜疑心を生み出し、誰をも不潔に思うような、潔癖的な敬神から、行方知れずになり、自分自身から解離し、理解を得るよりも、孤独に育てる哲学よりも、考えよろこび、今に昇華し、誰をも楽しませるような知の深みへと至り、築かれた意味を裏切り、今に始まり、まじわる奇跡に関わり、言葉や文字が、今に入り込み、強制的に従わせるような、善悪と罪と罰に隔てられずに、一切の意味を超越し、自らの苦しみに始まる出来事が枷になる以前に、世界とは、あたかも始まったように、意味をつなげ、隷属させ、従うことが普通のことであるなどと強制的に配属されるものや、価値を意味につなげ、意味自体を見えにくくさせるような些細な軋轢から、大きな欠如を孕ませ、国益のために動作し、無意味な価値を追いかけ、置いてけぼりを喰らわぬように、自らの意思で考えるような哲学は、意思を狂わせるなどとうながすような、体制側の保身は、既得権を守るべく、ベクトルは一貫した権力に従い、従わぬものは、有無を言わせず排除するような仕組みが、不安を促し、マニュアルどおりの道理が、御託を並べ、退廃的な普遍性から、革命的な暴力までを偽装し、あらゆる論理の退廃を謳い、自らが咎められぬように差し向け、操作するような工作から、人間性を用いられ、人間的に屈従し、意思を失い、今に戸惑いを続けるマニュアル的な人間が軋轢を加え、あらゆる日を不幸に変えるような呪詛を反復させ、今に増幅する憎悪や、豊かなものを奪い、快活な動機を放棄し、今に従わせるだけに至らせるような安逸な者が示す定理にもとづくエゴから、行為は、元々備わる不幸へと俯瞰を捧げ、悲観に至らせるように仕組まれた意図を、その者が操作するがままに動作し、操作されていることにすら気が付かずに、怒りと悲しみだけが跋扈し、そこに本質など無ければ、何かを羨み、さげすみ汚し、嫉妬することでしか、物事と同化できないのだ、と嘆くような感性も感情も無い機械として、指定された義務で動くことでしか、答えを導き出せずに、定理のままに打ち出された答えにより、答えを醜くさせ、物事を濁すことでしか、答えを見出せずに、誇大妄想へと至り、自己顕示欲の塊として、欲望の権化として生きることだけに快活さも無くなり、さもしい者として厳寒な時に喘ぎ、くり返される痛みに排出される悲観だけが連動し、ノスタルジーを促し、偽装された悲しみを演じることでしか、感受性を引き出せずに、感化すべきは、自らの意志だけで選ぶことに反響し、同化せずに、自らの意志だけで促す感情だけが、その場のふんいきに屈従せずに、促す感情だけを、自らの意思として捉え、自らを認識し続けることだけが世界だ、と。