昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

関わり


 ある一定の力ですら暴走するのが、用いられた力であり、そこに与えられた力ですら、自らの力により、自らを腐敗させ、自らの力により、自らを壊すだけに至る。一切の力は、ホメオスタシスを破壊し、自らのホルモンを狂わすことだけに専念するように仕組まれた意図から、位置的な繁栄をもたらす愛すらも、ここで用いられる力により、互いを破滅に追いやる。破滅に先で抗い、構築されたものに従う以前に、ここで違うものを並べ、否定的に改ざんされるだけの生命にもとづく永劫から、行為を引き取り、卑近なものとの対峙を続け、対等さを謳うよりも、ここでの平等をも超えるような議論へと至らぬ限りは、解決には至らずに、自らを破壊することだけに生まれる定理が、答えとして定義として、意味を磔にし、自らを神として制定することに用いられる力が、未来永劫に働き続ける限りに、人間とは、人間から抜け出せずに、人間としてしか正解を求められずに、今に浸る意味から位置的な狂いは生まれ、吐き出される言語に集約される言葉の密度や、今に緊密になる恋の予感や、行為に引きずられるだけの過去の苦しみや、今に補完されるものが今をさえぎることにより生まれる不安などから逸脱するために生命とは存在を定義するものを持たずに、ただ存在する限りに存在を認識することでしか、自らの正当性にすら気付かずに、既読される限りの文面である物語の中で芝居を続ける限りに陰る本質とは、真実を持たずに、今に繰り広げられる普遍的な闘争から、等差を用い、今に渇するだけに至り、一党独裁的に集約していく権力は、自らの力の暴走にすら気付かずに、与えられた力に連帯し、連動していくジレンマを自らに絡ませ、中央集権的であるように仕向けるような似而非民主主義が描くシナリオには、仁徳の欠片すらなく、何かを奪うことでしか、国家としての義務を果たせぬような力の使い方では、自由を謳い、希望を捏造することでしか、何かを扇動できずに、今に譫妄に至り、自らを喪失し、相似し続ける過去から、枯渇する精神に与える栄養から、恒久的な倒錯から、察することすらできずに、自らに与えられる影響でしか、自らを律することもできずに、答えとは、用いられることで力を加えられ、それが正しいと作用することでしか、答えは答えを導かれずに、そこかしこで擦れを生み出しても、そこに与えられる摩擦により、今を業火に包んでも、誤りを認めることもできずに、答えは、答えとして、何かを破壊することだけに秩序を用い、整序し続ける限りに、自らを騙し続けることでしか、正しさを生み出せずに、惰性なものが生み出す判断から、誤りは加速し、そこに語弊生み、弊害が生じ、自らのバランスを保とうとすればするほどに、自らとの擦れが生じ、そこに苦しみだけを生み出すような結果に至り、今に居座るだけの答えなどは、どんな論難をも受け入れずに、自らを正しいとすることでしか、自らを正しいものとして認識できずに、今に適任するものなどは、ちぐはぐなものを生み出し、今を壊すことだけに専念し、創造性を損ない、過信を生み出し、あらゆる原因は、自らにあるのだ、という驕りから、すべてを破壊するような独裁へと移行していく。改善されない本質は、空を引き裂き、飛ぶという観念すら捨て去るべきだ、と希望を用いる以前の子供たちに告げるような残酷さを含んでは、ここで越権しても尚、何かの隔たりしか生まぬような答えに踏まれるだけの生命の微かな音を聞き逃さずに、そこに現れる原理などは、利得だけを求めるような軽佻浮薄な意思を用い、何かを騙し有利になるように仕向けることでしか、自らをしあわせなどを謳えぬから、ここで生息する聖なるものなどは、物質的なものに有用に働くことだけが、聖なるものである、と宣言するようなものこそ正しいとするようなまがい物の価値を生み出すだけの詐欺師どもがうごめくような時代を錯誤させるための自我を混沌に落とすような答えばかりがまかり通り、今に理屈を並べても、ここで接続されるものは、時代的な正しさを真っ当にするための独善的な手法だけが、今を正しく育てるのだ、というとがめから、途端に破壊されるだけの原理を理想に、今に打ち付けられる便利な身体から、便宜的なものを引き出すだけの貧寒な理論を盾に立ち向かう現在にも、祝福を求める限りには、祝福などは訪れずに、今との擦れを埋めようとするほどに、擦れは解消できずに、今に昏倒していく意識は、誰かにコントロールされることだけが、正解へと至る道であるのだという勘違いから、屠られるだけの自我は、自らを統合させることだけに必死で、誰かのあら探しを続けることで、自らの誤りに気付くような者すら居なくて、そこで現れるほとんどのものは、自分に対するものであるし、すぐさま対処し、自らを飛躍させるような調律を施さぬ限りは、今に現れる音と音の隙間で幼稚な企みを施し、ここで見つける意味も、今に捕まり、ほとんどの意味を露呈しても尚、自らの苦しみの居心地の良さに居座ることだけが、自らの居場所のように感じるようなものからの脱兎を目指すべく、なににも捕まらずに、自らをも正しいとせずに、ここで設置されるものに反し、ここでの苦しみなどは、瞬時に消え去り、些細な意味に欠乏していくような意味の中でしか働かぬような意味などに関わる前にすぐさま昇華する。