昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

どうでもいい

この国はずっとファシズムの亡霊との対峙を続け、あたかも政治的なものを羽化させては、対立を深め、そこかしこに軋轢を生み、同調圧力を加速させ、意識に枷を嵌め、世界性をせばめては、あたかも社会の一員であると語るような間には無関心と自らが生み出す憎悪を社会や世界に向けては、孤立をしてゆく。理不尽につのる他者からの愛が虐げる瞬間、愛はなにかをしたがえるためだけに機能するだけなのかと落胆し、がらくたになった感情を寄せ集めては、互いを監視するための正しさが流布され、本質的な正しさは即座にあやふやになり、担う正しさはただ誰かの武器に変わり、今にも事実を捻じ曲げ、真実を知ることなく、足るを知るとかと謳うような諦観に浸るような宗教的なニヒリズムを超えて、確かさを足かせに変え、引きずるだけの正しさがラインを引いて、歩きやすくするほどに、人は迷いやすくなり、たやすく人々を導くほどに、自らは臆病になり、猜疑心に苦しみ怪しむ意識は処刑を繰り返し、くたびれた信念は神経質になり、ひからびた神経は敏感になり、たえず与えられる絶え間ない痛みがいたわることを強制し、言葉により与えられる影響が今に苦しみを与えては、互いを怪しむために扇動する。現代の倒置法が規則的に孕む正しさがフラクタルさを求め、システマチックに課せられる罪を未熟に孕み、身近な者すら裁くような間にリアリティすら損なわれる。夢遊病の人々がさまよう。現実味などはどこにもなく、ここで感じているものなどは即座に過去になる。そこで感じている実感なんてものが、なんで本物の感覚などと呼べるのかと、幼少期から考え続け、ここに攻め入る空間などは、外からせまるものであり、単なる囲いの中で高次に至らずに、忌々しい価値などに妨げられ、前すらも見えなくさせるだけの価値などに関わるほどに可愛げすらもないような世界や社会と名付けられたものなどに強制されるわけもなく、主義や思想が捨てた理想をすなどりながら、つたない意志を構築させるためにためらわずに、たちまちに現れた今を駆逐して、自らのためにを謳いながら、なににも構わずに我儘に我が身を滅ぼすようにすべてを愛し、暴かれるべき世界などは、暴くためだけに自らを正しいもののように仕向けるような正しさこそ蹴飛ばし、すべてを超越したあたりから、善悪などはなくなり、誰もが正しく、誰も正しくもなくなるだけにすぎない正しさなどを利用し、利用したりされずに、自らを加速させる。先々は些細なことの繰り返しにより、自らを正しいもののように感じてしまうような勘違いから抜け出し、自らを正すために、促される正しさを乗り越える。もうすべては、どうでもよいことの繰り返しだ、と気付いたのだよ彼ら、いいかげん、この不安から逃げ出すためにオカルトチックなものや、ままならぬ感情を癒すためだとか、とスピリチュアル名ものに嵌っては、誰かをがんじがらめにして、ニセモノのしあわせで理不尽なものだよ生きるとは、とかと付きまとう正常化されるべきなのだ君はとか、うさんくさい出力を上げては、手当たり次第に残虐に駆逐するのが、この人類のさだめだとかも構いやしないし、構っても依存する奴らが擦り寄るだけだし、惰性で導いても、うらぎる輩ばかりだし、正常を保つための排除を推奨し、清潔であらんことをと祈り、統合される日々には犠牲的な正義が悪をねつ造しては、今に妨げを生み、絶え間ない憎悪が建前上は確かさを足枷なんかにして、加勢しているようでほんとうは傍観しているだけなんだし、仏教的な諦観すらを超えたニヒリズムによりヒリヒリする精神、ヒヤシンスをながめ、ヒステリックなゴーギャンが駆逐するチクチクする日曜日、くちびるからは血、知性もないから、辞世の句なんか読めないし、ただダラシなく生きるのも生き方なのに、自分が苦しいから、君も苦しむべきだ的な圧力により、正しさなんかを押し付ける同調圧力なんか産まれた時からくそくらえだし、空疎な自分に着せる服もないから、裸のままで威張り散らして、自分が裸なのに気付いた時には、恥ずかしさを感じるよりも、裸であることにすら誇って、このままであるからこそ、生きることとは、なににも汚されず、邪魔されずに、ただずっと継続するままに軽薄なるものにうやむやにされることなんかくそくらえだから、ただ詩的に生きるために風景とおどり、情景に愛撫して、縛られることなんかくそくらえだから、すべてに中指たてて、気ままであることにすら苛立ちながら、彼方まで続くとは、どうゆうことなのか、と不思議に思うかぎりは、子供でも大人でもなく、私でも君でも無いような生き方を提示しては、誰にも真似されないような生き方なんかを蹴散らしながら、すべては死に吸収されるより、生により何度も爆発し、一斉に敷衍して、ただ生きるということなどを瞬時に飲み込み、生きることなんてものは、なんでもないものであり、問題なんてものは、はじめからなく、正しいことすらどこにもないのだから、勝手気ままに歌うのだ私は。