みんな過去に取り憑かれているばかりで、どれが事実かすらも理解できずに居て、過去にすがるだけの日々は、何かに掴まることでしか、この命は継続できないのだ、と惰性にみちびかれる日々の忌々しさを示唆しては、散漫な意識に囚われ、途端にせまる苦しみの虜になる。信仰を破壊するほどのよろこびが迫り、狭い価値を押し広げては、多幸感により敷衍していく一切が極彩色に染まり、聡明な時は、安直な時間に妨げられずに、健気に今を飛び越える。生きていることを確認するように血を眺める君、なにも始まってもいないのに、なにかが終わることだけに拘泥するから、時間にばかり囚われ、目の前のことに苦しむばかりなのであり、そこで執り行われるものに縛られてばかりである。あらゆる偏見を宣言し、用いられたものに寄りかかり、今に裁かれるばかりの日々から逸脱し、与えられたものでは決して満足せず、また、不満足に至るから、と苦しむこともない。ただ与えられたものが今を位置づけては、そこで一喜一憂することだけで瞬時に老けてしまうのが我々だ、とさまざまな思惑があざとく迫るセンチメンタルなマントラを唱える思春期の悲惨さを乗り越えたら、のらりくらりと誰かやなにかにまたがり、瞬く間に道具や偶像や、傀儡に変わることだけでしか今に意味すらも与えないで、今にすがることでしか、誰かを支配できないような今に有する価値などに美しさもなければ、もたらされるものに意味すらもなくて、すがればすがるほどに磨り減る意思は、なにかを求めることに依存し、損得やなんかに揺れ動くだけの低劣なものを掲げては、限界を決め込み、義務感に苛まれ、ニセモノの正義感を掲げては、媚びへつらうだけの日々を毎日コピーペーストし、自らを正当化するために、誰かやなにかに責任転嫁し、誰かやなにかを責めることで、自分を慰めるような生き方を生み出すための教育により抑圧され続けた君たちこそが、今を刷新して、闘うことに専念すれば、瞬時にすべてはひっくり返り、もう二度と同じ過ちを繰り返さないように、すべてを書き換え、誰の手にも汚されないように保守的になるよりも、次々と裏切りひるがえし、誰にも捕まえられないようにする。すべてをひるがえした後には虫や闇がたくさん這い出るだろうが心配なく、すべては光につつまれ、無かったことのようにされる。