昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

革命的な生後

光合成を繰り返して、歪な罪を笑い飛ばす。吐瀉した真実でツルツル滑りながら、短絡的な同化を終える道化師たちの妬みなんかが降り注いで、延々と演繹する真実を蝕むような世紀的なエゴに反して、自らを革命的に突き上げるために、ためらわずに批判を続ける矢先に最たる意味は駆逐されるのだ、と何度も繰り返し反芻してきた私は、猥雑な座標の中で、詭弁やカタルシスなんかを求めるから、ただただ疲れ果てるのだ、と惰性に盗難された意識やカルマなんかにむすばれる仮数虚数が云々と、数学的な教祖がうながす洗脳的なデマに斡旋され、散財し尽くした後に、何も残らなくなったほうが、何か人間らしく思えてきた、と生きているなどと勘違いしていることを、誇らしく語ることほど、虚しいものはないのであり、あらゆる法外で無知な連中が想起させる連帯感などが、安易な革命をそそのかして、暴力的な解決に至り、自らが暴利を貪るような結果に至るような革命が、倫理や啓蒙を持たぬ限りは、同じ過ちの繰り返しにしか至らぬのであり、分け合うというよりも、求めぬように、ぬめり気ある事実にめり込む君が甚大な被害を受け入れ、右傾化したり左傾化したりして、中庸を謳うほどに、自らが保ち持ちすぎたものにより沈む前に、前のめりに超越を繰り返して、この繰り返しを過信し、繰り越す前に、繰り返すことから逸脱を企て、惰性な達成感により、より良いものすら見抜けなくなるほどに情報を依存しているだけの、忌々しさからなんとか抜け出し、命からがら乾いた身体を可愛がって、加算されるだけの日々の中で無益なままで居ても、なんら悲しくも苦しくもなくなったことにより、ニヒリズムを超えて、私は私であることだけを喜ぶのである。