この混迷を駆け抜ける蜂、すばしっこいカラス、価値観を屠る学者たちの悪、耽溺を繰り返し、感傷的な所以を構築する理論が補足する憎しみの端数、蛮行を繰り返す我々は外から見れば豚なんだ、と語る自己犠牲により狂わされた木々たちの嘆息、そんな思惑の枠組みにより、支配され続ける私たちの完全な神話に騙されずに、ただひたすらに真理を目覚す先々で境目もなく誰彼構わずに愛し続け、気だるい日々の歪な観念を飛び越え、ビリビリに破られた身体をひとつひとつ集め、償いが云々とうるさい輩が排除を繰り返す幼稚な仕組みから逃れ、迎撃されるだけの罪は、君を絶え間なく傷つけるであろうし、あらゆる差異の深淵で眠る君が固執するものなどは、たどたどしくなり、自分の内外に現れる罪などは、所詮は刷り込まれ、埋め込まれた途端に認識するものにより、抑圧されたり、よくあることだ、と諦めさせるために、今に障壁や弊害になり、秩序を保つためだ、と檻に入れられ、誰が作ったかもわからぬような社会で従順であるために、君の罪は、怠惰なままで君に覆いかぶさり、理解することすらしないで、ただ現れるものを単純に受け入れるがゆえに偏ることに気付かないかぎりは、誰かに利用され、理由もわからぬままに、今に引き摺られ卑屈になる。出迎える朝の光、抽象的な官能により、呼応する太陽の端、整合性もなく、混沌に至る先々、屈折したモラルが吐き出す正義の皮をかぶった悪意、陰湿なスケープゴートにより捧げられた自己への嫌悪感、愛された記憶が定めもなく、ただひたすらにさまよう先に現れる諦観の重力により身動きも取られずに、今に屈するだけに至るようなひとときに反し、かかずらうほどに掛け違えでしまう私たちの間に現れる鬱鬱とした理念が孕む貪婪なものを取り払う。