昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

中庸の翅を擡げる天使

眼前に死を捉え飲み込む。ただ生きたことに証すら無く、記された後に取り残された自分を見送るだけに、死は死を深め、物事の認識を薄める。考えに徹し、認識を深めよう、とする限りに不安や恐怖を超克し、あらゆる原理や原因をすぐさま飛び越える。ただ悠遠な旅路の末端を辿り、憂愁な果てに帰路を結び、立ち所に永遠を凌ぎ、遊離する瞬間に記憶を綴り、たちまちに価値に変わる今をただ立ち尽くし、傍観する。冷厳な今を健気に食し、ただ贖うだけの苦悩を吐き捨て、かき乱す今も、叶わぬままにしどろもどろに行き過ぎ、他愛ないままに周りに侵食し、限りない今を無駄にし、欺瞞を重ね、褐するだけに至り、むやみやたらに真実をうやむやにし、錯覚させるだけの普遍性をパンデミックさせ、あやかる金銭で恍惚に至る欲だけが、事実をあたかも作り上げているかのように蝕む余韻に、この陰湿な支配は気配も無く、芝居じみた奪い合いを浪費し、真実を漏洩し、儚い事実を貪る限りに自らだけが潤うことに専念する。大国の役割は、国民の欺瞞を誘い、ルサンチマンに育て上げ、立派な戦争機械へと国民を成長させることへの、物資たる餌の供給と、恐怖を植え付けるべく、扇動する怯懦により、リアリティーを倒錯させ、共同幻想へと誘うことに、国家は、国家たる人間を人間の中に閉じ込め、屠殺するよりも、最もな苦しみを与え続け、栄養不足で朦朧とした頭に、武装した真理を持ち込み、延々と怨恨を現在に用いる洗脳を続けるプロパガンダや、普遍性を謳うコマーシャリズムが跋扈し、野蛮な人間を、人間たる名称に閉じ込め続けることへの解放に、革命や暴力や、自由すら要らず、十全たる自分に従うわけでも無く、ただ受け入れ、開け広げることに、価値すら要らない。求める真理に、真理は無い。況してや、用いられる真理に真理など無い。別離の悲しみや苦しみを乗り越え、育つのが創造性であり、元から備わる気質すら創り変えるのが、創造である。国家たるものが、外や内などを作り出し、すべてを物の枠内に納めることに反するのも、国家たるものが存在する限りに、倒錯と闘争を生む。左翼的な円環から外れるべく、左翼が用いるルサンチマン的な扇動に利用される暴力を推奨するだけの一番のルサンチマンを見つけ出し、ただ批判だけに陥る犠牲的な人間を探り当て、ただ同情と平等を謳い、自らの位置に引きずり込み、人間そのものに陥らせる者こそを見抜く。円環に対立を含ませる婚姻たる指輪がぬらり、と輝き、根源が、手繰り寄せる現前により昇華する。ただあるのは、瞬時の残り滓と蜂起した後に広がる純然さだけが、世界と呼べる。謳われる言葉も、裏切るだけの形の中にお粗末に備わり、なぞる関係から断続的に収斂される面影も仮説を踏みしめ、にじられる思いから簡素な流動性を世界に閉じ込め、逃避する思いが構造を排斥しては、恬淡とした様子で妖艶な時に備わる感情から即座に引き出す思いが幼気なままで、仮想される家族間から核融合し、横溢する感覚から感じ合う思いは誘導されるだけの瞬間に同盟を組み、昏倒する意識に修繕される面影を改ざんしては、かけがえのないもののように扱われるだけの物質化を行いとどめる存在を見せつけるだけの形あるものとの相互から拘束され、硬質な思いは逃避し続けては、つたない思いを構造に隠し、幽遠な時に措置されるだけの権力から発散される傲慢さから、逆撫でされる思いが締結しては、醜状を歩く傲岸不遜な人間から真相は枷に変わり、騙し合うだけに理想は帰巣し、感染していくウイルスから加速する面影から寡占される動機を曖昧な深層に相続されるだけの牽引を繰り返す婚姻から引き出される思いが更迭し続ける怒りから壮絶な闘争を繰り返し反復させるだけの心情から截然たる様相で際立つ思いは収斂され、豪壮な思いに倒錯し、物事の下に自分を置き、呈される理由に突き上げる自己こそを自分に帰依させるだけの信心を浸透させずに神を乗り越え、概念を鞍替えする喜びに浸るだけの傲慢さから引き出される論理的な惨禍が迫る憂鬱な疎外がゾディアックを渡り、たゆたう記憶に拘束されただけの自分が自分の宇宙に帰還する頃には平静は静寂を見つけ、確かな自分に消え入り、本質は誘導されていただけの答えが考えを扇動するだけの理由から離れる。頓挫する私は挫折感の素因を廃退させていったから加速する動機が流動しては、帰り着くまでの距離で襤褸と化するだけの過去を傍観するだけだ、と悲観するニヒリズムから離れ、刻々と強固になる現在や今に切り刻まれては、優越感を抱えるだけの物質主義的なゴーゴンがにらむ原野で帰巣する今から監獄に収容され、中で罪の肌を着せられ、刃向かう者は、燃え尽きるまで焼き尽くすだけに至る罰が迫り続けるだけのカタストロフの恐怖に震えていく静謐も夕闇を隠し、遠い夜へと倒錯していく起源に用いられる現在が利用し尽くされ、最たる意味も失い、ただ自己嫌悪に陥るか?はたまた見えない孤独にうちひしがれるだけにうらぶれるのか?その気力を保とう、と用いられる元々ももつれ、用いられる限りに影と化し、倒錯するに至るのだ、と打倒な青春を衣服にしみこませ、その名残惜しい輝きだけで外見と外観を輝かせるように見せつけるだけの言葉が氾濫し、物事は蓄積される限りの定めに反し、有する過程に緩衝せずに、己の力だけで巡ることをはじめて世界と呼び始めるだけに目覚める意識は、形式を用いずに、敷居すら持たずに、入れ込まれる自然に、対立しない偶然と邂逅だけを喜ぶ思念から捏造されずに、空間的に配されるままに感官に促される量子から氾濫するままに攪拌される意識は静謐な予言を繰り返し、余韻にもだえ、放蕩し続ける限りに遮るものも無ければ、そこに捉えるべき事実も無く、思惟する先々に浸透する意識に関する世界を引き取るだけの理由から流動していく状態に法則的な何かを用いずに、元々の意識に反し、関する状態に理由を用い、諸々の形式に反し、用いられる言葉を絡め取り、惰性な理由に性差を用いずに、用いられる出来事に反し、私に用いられる出来事すら杞憂なものである、と反し、最たる今をつかむべく、迫り来る罪に反し、寛容に至る今からつぶらな意識を用い、形骸化していく主体に収斂される先々に乖離しては、理解は深まる言動に現状を磔にしているだけに満たないものを神と崇め、ただ人間が作り出した神こそが、すべてを統治し、すべてを奪うためだけに崇高さを今に用い、何かを契約していくことに臆する限りに荷担される理由は差異を用いずに、用いられる理由のことごとくに寛容さを用いずに、ただ入り浸る理由に拘束されるだけを人間と呼び、人間の内部に閉じ込める限りに投影される出来事だけを本質と呼び始めることに真実すら無く、ただ縋るだけの神に至らせる悲劇の中で迎撃され、生きるというよりも、たださまよう亡霊と化し、自らの浮遊感をたしなむ程度に時代に関し、流行に流がされるがままに浮かぶだけの付加価値などが、生産的な基本として、人間自体に価値を貼り付けるだけに劣等感やレッテルだけが、劣悪な現在に権限を用い、何もかもを占領し、戦争へと移行する精神は、依存的な交換を繰り返し、疲憊する苦悩から、卑俗な観念を用い、関係に隷属される先々に粉骨砕身し続けることに苦悩すら消え去り、満ちぬからこそ、満たないままのサイクルで反復される自らの気力だけで倒錯する現実を打破するようなサイクルこそが、世界から離れ、自らを用いることに置かれるだけの世界などと呼ばれるだけに呼び止められる現在などに確かなものすら無く、ただ不要なものであふれるだけに至らせる原理や原因などに確かさすら感じぬままに不透明な身体は神とシンクロし、用いられる神に権限を持たせず、用いられる出来事に神すら居なく、ただ有るのは、信じるべき自らの利口さ、とこじれずに偏波な意志を用いずに、何にでも反し、嫌われようがお構いなしに言いたいことを言い続けることに確かな理由すら要らない。交わる瞬時はどこから来たのか?と刹那がカタルシスをこぼす原野に基礎も無く、ただ有るのは、君を追い続ける自分であるし、理想は供給されずに、用いられる希望により、不安に陥らず、その不安定すらも受け入れ嬉嬉としてシステムに反することに堅持する自己すら無く、ただ主体に入れ込まれる存在や感情などに環境や社会は無く、ただ用いられることに関して災いも無ければ、ただ罪と罰を謳うだけの利己的な法律が促す権力から唾棄される者を排除するだけに配備される愛憎が利権を用い、高揚する意識は言いそびれたことを過去に用い、戻されるリアリズムに倒錯するだけに統合されない意識は引力に引き込まれ、後続する意識を切り離さずに、引き連れる限りに引き留めるだけの過去に引っ張られ、そっぽ向かぬから、無感情な官僚支配の最中に受け入れる受け売りな状態から運動的な今に運命論をこぼし、自らの論争に倒錯する限りに統制されるだけの言語から構成されるだけの出来事に淫靡な結末や欠乏を伝える限りに陰る命は陰鬱な衝動に攪拌され、遮るだけの言葉を拡散し、退廃に至らせよう、と企むものの倫理観や秩序により、自らを圧迫し、抑止するだけのルールに縛られる苦悩に至らされることを受け入れずに、ただ帰巣する真実に理想も無く、ただ揺らぎ自ら促し流れることに価値を置く。