悔悟を飛び越えるなにものか
怒りの根源を探す。離床した意識は、晴天の下、自堕落な風景に加速し、面白みも無いものを追いかけるだけの実情に、誰もが同じ質感を求め、自己暗示し、利己的な価値観を受け取り、誰もが同じ事をしている事に対するよろこびに退廃し、開花する先々に乖離し、理解を深め、不潔な思いを超越し、隠微な結末に至り、贋物の価値を討ち取る辺りに織り込まれるオーガズムや、変則的な意識や、変拍子を促す現在に、運命論的な疎外感や、かすむセオリーにもとづく反映から、端的な理由に束縛されるだけの苦悩に能動していく意識的な終わりや、横溢する主観から、非道なものを引き込み、混淆し続ける先に用いられる言葉も、あやふやなままに気質を奪い、磔にされ、起源を損ない、お粗末な現在に騒然とし、陥落する意識は、暴力的なものを崇拝し、蔓延る悪意に転移していく意識的な補完から、縫合される傷だらけのアート的に乖離した前衛的な退行から、後退していく意識が、敢行すべき意志を用い、プログラミングされるだけの形式的な権力から引き取るアニミズムや、あいまいな差異にもとづく善悪の是非から、前頭葉を傷つけ、トラウマをすり込む辺りから、形式的な健忘症へと至り、マキアヴェリズム的に促す敵愾心や、心理的な終わりを謳い、自我論的に収める精神的な構造を抑圧するだけの箱たる自我から、論証されるものなどが、魯鈍なものを用い、剥奪されるだけの敬神から、軽薄な理論を象徴とし、あいまいなものを崇拝し続けるだけの信仰から、独善的な性悪説を促し、精神的な独房へと軟禁する辺りに生じる正義が嘯く痕跡から悪意が生まれ、意識が錯綜し、操縦されるだけの形式的なものをさまよう意識が羽化し、飛び立つ一瞬に長ける思いが、横暴なものから離れ、用いられる権利から疎外され、自らの意識に蘇生し、製造されるだけのものに混沌とし、モチーフとされるものを崇め続けるだけに、兌換される価値は、加工された義務に迫り価値をすり込み、互いを奪うだけの価値へと盲信を授けては、継続するものが、主体を騙し、存在自体を、価値観で刺激し、紙幣や貨幣が迫る憂鬱から逃れられずに、ただ機械的な道理や、機関的な働きへと疎外され、些細な出来事に乖離し、リスクを背負う事を恐れ、自ら義務へと投下していく資本的な終末論論や、集団意識的な形式に汚れを用い、混用していく物事の支配を謳い、独裁的な主観が、主体性を制圧すべく、嘘を乱用し、多感期を騙し、教育により、多大な悪影響を及ぼし、この経済などを保つという幻想や、支払う義務により、従う意味を忘れ、ただ咎められるだけに形式に従い、儀式のサクリファイスとして、義務的な犠牲として、自分自身を捧げるだけに依存心は加速し、物事へと貢ぐ辺りから、苦悩は疎外され、定める意識が形骸化し、観点を損ない、生じる由縁に粗暴なものを持ち込むよりも、交互し、齟齬する意識に関連していく意味合いが帰結し、寛容に受け取る意味に偽装されるだけの真偽にもとづく雇用や、高揚感を謳い、物事を快楽的に染め上げるだけにデカダンな意識が兌換し続ける価値から、カタストロフが迫るなどと促すルサンチマンは、生きながら諦め、諦める変わりに、何かを蔑み支配し、物事を己の価値観でカタストロフに巻き込み、高次に至らず、高尚なものを卑賤なもので巻き込み、諦観へと至るだけに犠牲的な伴侶を求め、誰彼かまわずに、幸も不幸も誘うだけに、幸福論的な幻想へと加工されるだけの餌として、誰かに食われるだけの身体を肥満化させ、課せるものが腐敗し、負荷を掛けるほどに、加算される義務へとこじれていく動機から、籠城していく意識が、虐げられ、孤立する事を恐れているばかりで、孤独に投下できずに、今に制される意識的な交換から、恒常性を損ない、心身の平衡を失い、途端に安易な現象へと乖離し、理解を得る以前に、懐疑的に執り行う欺瞞から、用いられる理解とは、ただ独善的な支配下へと置く事だけを退嬰的な譲歩が生む奴隷化していく借り物の身体や、互換されるだけの精神性に接続される俗悪なものから、自己の空間は奪われる。ただ咎めるだけにリベラルなものを謳い、物事を占領するだけに至り、訝るほどに独裁者へと変わり、あらゆる原理を従わせるべく、ただ暴力的に疎外されていく純粋な精神とは、元々は、純真無垢に生み出された自らの思想を、誰かの理想で染め上げ、あたかもそれを自分の思想のように扱い、自らを騙し、損なう事により、暴力性は加速し、集団指導体制が用いる体罰や、圧力や抑圧により、人間を超える事ができずに、その場の価値の奴隷として、あるいは、その場の家畜として、指定された義務や、同じ意味を餌として、捕食される事を恐れ、餌をもらわれないかもしれない、という恐怖を埋め込まれ、従順な物として扱われるだけに至る。