昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

衝突

誰かの意見があたかも、すべてのものの意見のように思わさ、違和感すら感じずに、ただ従うだけの彼らや彼女たち、卒なく刹那と混じり合う猫たちの昇華、かすむ景色がうるおうまでの苦悩と大義、対比されるために産み落とされた子供達は、道具のように扱われるから、自らを大切にできずに、正しさを押し付けられ、ただ打算的な物に変化することでしか、答えすら見つけられずに、ずっとそのままであることが、妬みや嫉みを生み出す瞬間を嬲る動物たちの夜、血族も終わりを告げ、誰もがドラスティックなものに変化し、監視下に置かれ、オカルトチックなものに意思を占領され、意識することもできずに、言葉の影で苛まれ、最愛のものを奪われ、誰かを物のように扱い、本質的なものを見失いながらも、正しさを謳い、今を厭うほどに、レトリックは破壊され、ここでの物語は枯渇し、今に欺瞞をたずさえ、互いを思うばかりに悪意が生まれ、あいまいな正しさの彼方で犠牲的な正義の虜になり、理解などを謳うころには、物事に固執し、執着から放たれるべきだ、と笑うブッダの横で、余計なことばかりが迫るカラクリや、ただ繰り返される日々の中でままならぬ私たちは、と誰かを巻き込み、自らの正当性などを謳い、誰かと統合し、そこで統制されるもののどれもが、誰かが言ったことをあたかも自分の考えのようにやかましく謳い、何かを過信するほどに生まれる猜疑心により、疑心暗鬼になったり一喜一憂したり、疎んじたりしながら、ありとあらゆるものを品定めする誰かしらが定めなんかを謳い、感覚を奪うあたりから還元されるものが機械的になり、醜く進化する間から加算される苦しみは雑踏の中で灰や塵になり、この借り物の身体が浪費してゆく思いが横暴に交わり、あたかも同じもののように扱われ、被害者意識なんかを同調するマイノリティーな意見により、多くの人を扇動し、誰もが正しさを見失ったあたりに、ほんとうの正しさなどは、どこにあるのか?とほんとうの正しさなどは、ただ従うことにより、あたかも正しいように思わされ、ただ支配されるほどに増してゆく快楽の奴隷になる。価値とは、そのような快楽の奴隷のための価値でしかなく、感覚を麻痺させ、あたかもしあわせなように惑わすためのコマーシャルを見させられ、些細な幸福に気付くべきだ、と興奮して伝えるやからの道具にもなり得るから、考えとは、自らの内で極めるべき、だ。