昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

磊落な歌

原子力で動くネコたちの行進、乾電池二本で動く犬、充電式の人間たちが司るエゴと、紙幣を天ぷらにして食べる無関心な親たちが促す躾、ねたましい過去の麻疹を搔き毟る災いの子、コーヒーに浮かぶ羽虫の死骸、幼馴染のエモーショナルな死や、耽溺を続ける我が子を貪る国家たる母、凡庸なカタルシスによって私たちは選りすぐりを続けるから、どれも退屈な答えを吐き出しては、禁忌などを生み出し、踏み外す者を排除するだけでは、新しいものも生み出せずに、怯えるばかりである。懐古主義者たちが、この時はよかった、あの時はよかった、などと勝手なことをうそぶいては、新たなものを否定するから、今にとどまって、凝り固まっているだけに浸る過去などはここには無く、もうどこにもない。そんなどこにもここにもないものを追いかけている間に老いるばかりである。太陽を殴打した細い指、愛に似た何かが豹変するまでの軌跡、ここではない何かを求めている羨望だけが、残酷な優しさを集わせ、割合に合わないことごとくと、煩わしい弁明が掻き乱す退屈な互換性、制約ばかりを焚き付ける数多の保留、流動的な観念や、時代性の云々に責任転嫁するだけの何もない人々の虚空を詰るだけの歪な日々、横暴な結末に迫る背徳感と、羽交い締めにされた精神の経路、ユダである自分を咎めさせるために促す正しさなどは、所詮は、誰かの都合でしか生きられないような、共依存的な適宜や、敵愾心や、森羅万象や、数多の真理にもつれる意図や、修復不可能な関連性にあてがわれる欠落や、健全なものすら損なわれ、そこで延々と愛を敷衍させ、ニセモノではあるし、見損なってばかりだが、何か愛していたような感覚により麻痺した脳内が加速して、イデオロギーすら蹴散らして、退屈な矜持をへし折り引き千切りながら、違いなんてものを謳うほどに、うかばれないとか、うたわれるものを崇めたりだとか、メタファーや、酩酊や、新約聖書や、心理学や、進路妨害や、俗悪なものがもたらす悲劇や喜劇の起源や、即座に迫る憎しみを修練する指先の不器用さや、ただ生きているだけでは、ダメだ、と促す奴らの腐った深慮を蹴散らして、楽観的に観点をかき乱し、あらゆる無知さを笑うより、印象にほどけていくために、生きる。