昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

浮遊


 言葉を捨てた帰り道、戒律を用い、退嬰的なものへと落ち込むだけの日々に欠乏を伝えるだけの由縁が刹那に入り交じり、不健康そうな笑顔でニヒリズムを強調し、権限を用い、何かを否定的な関連性にむすぶだけの境地にひずむ苦しみから理不尽なものを引き取りながら、伝染していく痛みを理不尽な暴力でフォーマットする指導者が伝えるウソの情報だけが、自らに安心感を与えるのだ、という勘違いから、関連する苦しみに連動していく痛みにはびこる愛のようなものが憎悪に変わり、苦悩をたずさえる詩的な夕暮れに卑劣なものを装置的に与えるだけの神は、今を偽装するだけで、明晰なものも用いずに、ただ自らの幼稚なこころで本能をくすぐるだけに緩慢な差異を用い、均等なものすら廃棄させるために、ここで重ねる祈りに永久に煩うだけにいたるような痛みに同化するような道化としてしか存在をあらわにできないような人間が作り出した神として生きる私は、散漫な疑念を称えるだけの名前の中でしか、何かをカタルシスにいたれぬような存在として、指定された意味の中でしか支払われない義務などを用い、何かを謳うことでしか、自らの存在を強調できぬような原罪にはばまれ、今に苦しみと同期を執り行うような状況に陥る闇を育てるだけの惰性な今に閉じ込めるだけにいたらせるようなあたたかさとは訣別すべきだ、と寛容さを捨てた独裁者どもが行動を制御するだけにいたるようなシステムの中で自らの行動すら操作し、自らの抑圧された感情を解放するための絶え間ない暴力が娯楽に変わり、そこで用いられる快楽だけが、自らをなぐさめ、自らを押さえ込むことにより、増していく快楽を追い求めるほどに、果てない暴力は、創造性を失い、制する間に生まれる自らとの葛藤を処理するための暴力が捏造され続ける。現れる快楽は、際限無く求め続ける快楽の餌として自らを生贄にし、何かの代償を謳いながら、悪魔的な受理から、常用される罪や、多目的な理由に即されるだけの観念が捻出し続ける苦しみを餌に次なる快楽を求めるだけにいたる。私たちは、単に踊るために生きているのであり、踊らされるために生きているのではない的なアナーキーな思考にいたらせるようなはつらつとした思春期の背きから、配備される愛などは、犠牲や同情を用い、何かに相似すべく、平等などを謳うから、等差を生み出すことに気付きもしないし、そこに用いられるものにより、自らを阻めるだけにいたり、そこに現れる苦しみに抗いながら、果たされる義務などは、空疎なものをかかげ、ニヒリズムに陥り、自らを破壊するか、何かを捨て去るかの二択にとどまることでしか、自らの欠如を埋められずに、そこで何かを埋めようとするほどに、運命から懸け離れるのであり、そこで怖じ気付くだけにいたるような精神構造に乖離し続ける正否から、取り除かれた物語の中で語る術を持たぬ動植物たちとの意識の融合を終え、高揚する限りにそこで統合されぬこともなければ、雇用されず、恒常的なものにとどまらずに、逸脱し続けるよろこびだけが、そこに生み出されるほころびをなおさずに、ただ現れる苦しみが用いるファンタジーや、ドメスティックな対立や、一貫した苦しみを放つだけの懐かしさや、そこで示唆するものに苦しめられるよりも、浮遊し続けるほどに、ここで用いる苦しみに揺らぐこともなければ、ここで用いられる苦しみにとがめられることもない。迎合されるものが崇められ、ここで求められるものが、何かに合わさり、簡易に消費されるほどに簡単に処理される死の先で待ち受ける孤独にふるえるよりも、ここで増えるものにより、飢えても尚、何かを求めるような幼稚さから放たれ、はびこるものにこじつけられる愛などは、愛にいたる前の幼稚な策略に疲憊するだけにいたらせるような名ばかりの愛であるし、そこでまかりとおるものなどは、そこで束縛するだけにいたるし、いびつな愛を用い、何かを苦しめるためのモチーフを持ち出し、今に吸血され続け、やせ細った精神は、一貫性を失い、制度の中で膠着し、行為にもとづくエゴを加速させることが、自らを強調することだ、という勘違いから、懐疑的なものが猜疑心へといたり、加速するナショナリズムは、差別的に排除することが、何かに抵抗することだけが、自らの使命を糧に、何かを疎外させることだけが、自らを神に変え、または英雄に変え、革命的に処理する快楽にひたるだけの獰猛な獣として、都市間を暴走する怪物に自らを変え、寛容さをそこない、有する価値だけが、自らを強請るものに反し、何かに同調することにより、自ら与えた何かとの等差を広げるための闘争だけが、自らを飛躍させるのだ、という偏執から思考停止にいたり、何かを恨み打ち倒すことだけが、自らを正しく導くのだ、という見くびりから、自らを裏切り続けるだけにいたり、何かを排除することにより増していく快楽に依存し、自らを損壊させ続ける。