昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

捻出

明晰な苦痛に汚された観念どもが、結末に磔にされ、懈怠に擁護され、誤解を解くための悔悟に乖離し、理不尽に引き伸ばされた生命的な時間に互換するものなどが、空腹や空白を生み出し、闘争などを生み出し、誰かを傷付けることだけが、今を征服的に押さえ込み、抑圧された精神は、今に抗えずに、従うことだけが、自らを正すように、ただすがることだけが、今を打開できずに、高い位置にのぼるほどに、見えにくくすることを知らずに、何かを見下すことで満足にいたる。生産的なよろこびを生み出すような、信仰的な夜の薄気味悪さに、悪感を感じ、干渉する今にも吐き気をもよおすような、人間的な方法論を用い、何かを根絶やしにするための、ペシミスティックな呪詛がなびき、弔われるためのダミーの位置や、今にいびつに変わる精神も、制御不能になり、担うべき意味も、今に似合わなくなるし、やがて背徳を率い、自らを権力に牽引されるだけの独裁者に変化し、動物的にしか対処できずに、自らの崩壊を傍観するような馬鹿者か、化け物に自らを変化させ、現れる疑念や、そこでカーストなどを生み出し、疎外感にふるえるだけの、怯えた人間として、指定された義務の中で転じる孤独を演じ、今に孤独感を増していくほどに、解放されているのに、気付きもしないで、自らの苦しみを演じることに専念する。自らの闇におちいるカラクリを解き明かすための呪いなどが流行し、自らを消費し、何かを試すための義務が葬いを生み出し、儀式的なものだけが、自らを癒すのだ、と卑しい祈りは、自らの願望を叶えるよりも、欲望のままに神に祈る、はしたなさに快楽を覚え、自らに課す罪の意識を加速させ、あるいは、枷に変え、世界の中に閉じ込めるためだけの、世界を建設し、自らを否定的に化合する苦痛と、悔悟を謳い、自らの苦悩に酔いしれる自分との合間を埋めるための儀式的な呪いが加速し、自らがもとめる自由が、不自由さを生み出していくことに気付かぬ規律が、普通などを謳い、今を苦しめるための税を課す。自ら与える苦痛が、いちばんの快楽に変わる頃、何かの傀儡として、外観を攻め入る普通に、自らを奪われ、搾取されるだけの、悪性のウイルスをばらまく資本主義め、と促すマルクスの犬たちは、自らの意志にしいたげられている自己批判が生み出す苦痛をごまかすための否定を続け、全体主義パンデミックさせるデマゴギーや、傲慢な者が統一と、同一化と、統合を目指すようなものが、国家の現れであり、生み出されたアレルギーが打ち出すようなジレンマから、時代的な苦痛が示す欺瞞や、今にも締め出され、再三の苦しみを演じる大衆が同調し、迎合し続けるものが、同じような苦しみを再発させ、苦しむことを演じきる頃には、死に出迎えられ、気付く前に隠滅する。モラリストが語る苦痛などは、苦痛にいたる前に、自らのルールに反することを疎外させ、自らを正すことだけが、答えに逆らわずに、与えられた自信や、自慢気に語られる自らの正しさに反旗を翻さずに、自らを正しいという認識の誤りを正すこともできずに、答えの中だけで、自らの正しさを押しつけて抑圧する現在に浸るような快楽にいたるための正しさを誇示する。現れる苦痛を処理し続ける生産的なペシミストは、実は生命力にあふれ、何かを批判するほどに、自己批判にいたりながら、生命的な飛躍を遂げ、自らをとがめるほどに、現れる孤独と踊り、自らの毒々しいものを、独創性に変えていく。あらゆる変化は、善悪を持たされる前に帰るべきであるし、与えられた善悪とは、悪にしか過ぎず、与えられた正義とは、何かを騙すためのコードにしか満たず、そこで満たされるものは、快楽的な正義であるし、今を意味に巻き込み、途端に苦しみを消費することに専念する。浄化されない苦しみは、過剰な愛をもとめ、自己愛に耽るか、何かを恨むことで、用いるべき愛を解消し、自己愛を加速させ、何かに与えられる評価だけに寄り添い、自ら生み出す苦痛を処理するための倒錯の中で生まれた痛みを何度も反復させる。反復していく痛みは、義務化された痛みの中での苦しみを演じるための痛みを敷衍させ、神聖さを謳いながら、何かに制限を与え、一貫した苦しみの中で捉える義務だけが、自らを正しくさせるように思い込むための義務の中でしか、自らを認識できずに、自らに関するものに反せず、ただ与えられた答えの中でしか、自らを正しくできぬような囚われから、何かを恨むために、自らをルサンチマンに変える。