昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

軽薄


 私たちは、いらなくなったら、似たような者が、似たような場所に閉じ込められ、誰かと同じように駆逐される。同じような者が、同じような価値観の者を、あたかも愛しているかのように物質的に処理される愛が、愛と呼ばれた途端に、愛は死滅し、コマーシャリズムにおさまり、あたかも幸せなような雰囲気を醸し出し、普通っていいね、と語り合う限りに、芸術性は死に絶え、誰もが、同じようなものにおさまり、今に幽閉され、本質すらも見失い、互いを愛しているようなフリを続け、すれ違いを生んでも、そこで継続されるものは、価値を謳い、自らを見失い、何かに従属し、自らを損なう。同じような出力で、同じような答えを求め、同じ電圧で、同じようなものを動かす限りに、陰る本質は、真実を謳うものが意思を奪い、攪拌されるだけの半径にとどまり、傾倒するほどに閉め出される意思は、そこで偏りを生み出すだけに至り、いぶかる先に具現化されるものが懸隔を生み、そこからはみ出す者を、もう二度と入れぬように閉め出すことだけが快楽を呼び覚まし、他人の不幸とは、そこで復古され、自らのよろこびに変わるのです、とちぐはぐな破壊衝動をかかえ、すべてを焦土に変えるための喧噪は、権勢に対する憎悪が軋轢を次々に呼び覚まし、補填される苦しみとは、自らが生み出すのではなく、外から与えられる苦しみにより、苦しみとは増していくのだ、と派生する意識は、惰性なものをかかえ、今に包括され、消失し続ける現在に症状は悪化し、自らの病に固執するほどに過ちとは、そこで誤りを深め、自らを補正できずに、発散されない苦しみは充填され続け、つたない意識は、機械的なものをかかえ、今に加速させられる意識は、意味に枷を嵌められ、破壊的なものにそぐい、そこで偶像をかかえ、何かを恨むことだけが、今の苦しみを楽にさせるのだ、という行き違いから、生きることとは、ただ生かされているのだ、という短絡的で支配的な継承を受け継ぎ、償いをつぎはぎにしながら、破壊されるだけの軽薄な身体が分断され続けるのを傍観し、つたない意識は、追憶に馳せる動機が、同じような道理にみちびかれ、相似するほどに、互いを忌み嫌うような同族嫌悪から、同調圧力を生み出し、何かを同じように恨むべきだ、といざなうだけの形を用いるだけの軽薄な論理から、論調とは、そこで引き伸ばされるだけのいじらしい自らの矛盾をかき消すためにためらわずに何かを破壊するための動機を生み出し、軌道修正を施せずに、放置され続ける意識は、今に武装し、同じ権力を用いても、率いる者の卑近さについて行けずに、追考し続けるほどに、システムに支配され、思案するほどに、あいまいなマインドは、同じような定理にみちびかれ、自らの首をしめるだけに至り、この命とは、何かと同化するよりも、動機を求め、何かに同調を求め、同情をいざなうよりも、より攻撃的で、攻勢をかけるほどに、回帰し続ける自らの攻撃性に支配され、自らを破壊するように他者に向けられる劇的な攻撃性は、とめどない怒りを生み出し、そこで位階を用い、安易な支配の経路をたどり、そこで視界を悪くさせるような独善的な手法で、主義を利用し、何かを踏みにじるだけに至るような散漫な意識は、儀式的なものにかかわり、かかわるほどに思想に利用され、何かに偏執し、それを信心することだけが、物事との軋轢をかき消し、しあわせへとたどるのです、と語るような不満をかかえた不遇の者どもが踊り明かすような恬淡な史観から、緩慢に動作を続けるほどにバラバラになる心身は、精神的な依存性を囲い続けるような論題に仮象されるものを称え、自らを神格化させるために用いられた言葉を利用し、自らを神として崇め、自らと遭遇できずに、ただ行き違いを続ける精神は、自らを裁くように、誰かをそれ以上に裁く。
 過敏な精神は、商業的なずさんさから、寸胴で幼稚な理論を形成し、理想論を嘯きながら、奪われるだけの自己を是正し続けるような独善的な言葉に騙され、自らを幼稚なものに乖離させ、そこで奪われる観念は、理解を得る以前に、懐疑的な自己を超越できずに、突出できずに、途端に崩れ去るような現在に保たれていた糸も切れ、毅然と立ち向かうべく、今は休むべきであり、やすやすと飛び越えるほどに、とぼしいものを攪拌しても、その場に飲まれ、自らを歩きにくくさせるし、すべてから逃げることから、はじまりやおわりを謳うような汚穢を吐き出すような連中が症状を悪化させるような形式を生み出す以前に、自らが生み出す苦しみだけを超えることだけが、今の苦しみなどは、今に苦しみを思うことから、その苦しみとは屈折していき、そこでいきいきとしたものを生み出せずに、自らに行き違いを生み、今に屈託無く笑うべく、屈折しても尚、自らを信じ抜く力だけが、唯一の権力である、と。