昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

蓄積される力


 言葉もまやかしに過ぎへんからって、なにかに演じるための多面性をばらまくだけのつたない感情が、規則的に降り続ける宇宙規模の雨が継続的に今を抑圧させ、倦怠感をあらわにするだけの緩慢な接続を終えるための多元的になびくだけの面影が、馳せ参じる所以に奇跡的に間引きされるだけの関係性に付着する制度や、規律とは、横暴であり続け、何かに対して絶えず重いだけであり、有る物としての、自分に嫌悪感を示し、その嫌悪感も他者や外へと向けられ、自分を恨むように、他者を同じように、あるいは、それ以上に憎悪しよるから、常用する憎悪とは、自分を屠るよりも、他者を簡単に壊しよるようなおこがましさを整列させては、短絡的な暴力に染まるだけの時折に聡明なもんもなくなり、内面性に接続される制度的なものに嫌気がさし、散漫に計測されるだけの感情は、環境に責任転嫁し、今に手懐けられ、欺瞞ばかりを吐き出し、正しさのありかをそこない、喪失感にゆだねられるものに飲み込まれるだけに満たない幼さを、何かの恐ろしさと交接させ、権限を謳うだけの規則的な快楽に依存するだけの存在などに、意義などはなく、陰鬱な衝動に補足される闇に支配され、芝居を続けるだけの緩慢な作用を施すための他者からの力により、位置的な支配は、信用を謳い、自分と同じであることを強制し、そこに加えられる力により、動作もできずに、今に敗残するだけに至るような徒な捕食を繰り返す。粗暴であるということは、そこで普遍性を謳うほどに、普通というもんの殻に閉じこもり、あるいは、普通であるということを盾にしよって、よってたかって、暴力的に締め上げることに正しさとは移行するんではないのも知らんと、狩りよる輩こそ愚鈍な獣であり、除け者にされんための連帯感は、サイレンサーをつけんと、なにかを暴力的に駆逐することだけに費やされることだけが、ここでの正しさでもって、弱者を狩ることだけに、往往としくる快感の虜として、利己的な儀式の生贄を次々に作ることだけが、創造的なものの昇華に至らぬ自分をなぐさめるための自慰的な行為に耽るのです素敵、などと吐き出される言葉どもに羽交い締めにされ、次々に磔にするんやでと迫まることだけが、ここでの正しさに生きることなど、と謳い出す輩こそ、自らの正しさでもって、自らに補完される快楽に依存せんと、制限も持たずに、今に現れる快楽との対立を深め、何とあらがうべきかを理解すべきやで、と言うたところで、自分で気付かん限りは、なにかの奴隷として生きるんが楽や的に、世界を冷笑しては、レイシズムに浸り、あらゆる権利に対して、ニヒリズムをかかえ、加算されるものにより、測ることを加速させ、ルサンチマンに至るいびつな精神がかかえる異物感により、ペシミズムに至るんやで、ということを口酸っぱく語っても聞く耳を持たん以前に、聞くという行為を知らず、考えに至る前に、還元されるものこそすべて的なものに覆われ続ける短絡的な襤褸な意思は、意思表示をしているようで、なにかに借りたもので、接続する今に現れるものだけが、すべてと感じてることで、見えにくくさせられていることを知らんと、あたかも見えるように示すようなもんの虚偽的なまやかしに気付くことから、自分で考えるということが生まれるんやでって語っても聞こえんもんやなぁ、と名付けられただけの今などは、単なる欺瞞により、生み出された物事の偏りを、次々につぎはぎにしよるだけで、真実味の欠片もないんやね、と内面性に俗物を帰巣させるための競争などが、次々に執り行われるだけの空しさを知る。