昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

螺子

絶望なんかあらへんし、そこらへんにあるのは、ゆたかなものばっかりやし、比べるんもあれやから、繰り返し確かなものを調律して、綺麗な音色を奏でるんが弁証法やし、葬られるだけの、堕落した真理とかと、批判的なものをむしゃむしゃと食べても、腹の足しにもならへんし、なんか近代的な自我なんてものは、数千年の義務を果たすとかと、なんかいきり立ってるけど、いかんせん正しいものなんかあらへんし、与えられたもので満足するんはちゃうから、ちょうど良いものなんかあらへんし、あてがわれたものに抑圧なんかされたくもないし、定めやなんやいうて、言い訳がましく迫る厚かましいだけの記憶に虐げられるんもちゃうから、御構い無しに進むんが、私の役目であるし、孕んだものが、ランダムに生まれて、奪われんままに、のびのびと暮らすんが、生活というものであるし、同情なんかいらんから、思いのままに進むんが摂理を超えて、果たすべきもんもおざなりにして、終わりなんかは、始まりが食い散らすだけのもんであるし、問題も不確かなだけやし、惰性にうごめく散漫な義務が犠牲を生み出しては、退廃的な快楽に依存し、損得なんかが、尊厳を謳いよるから、揺動されるだけの彼らは、自分こそが正しいと、姑息になりよるから、偏執しては過激な理想をかかげて、破壊することしかしよらんし、そこで語られる倫理観なんかは、過激なもんしか含んどらんし、貪婪なままに求める餓鬼のような腹して、満たされん欲を求め続けることが、間違いでもなく、そこで、正しいとされるもんに振り回されるんが誤りであるし、そこで超越せんと、ちょうど良いもんなんかを横柄に求めるから、弊害ばっかが生まれて、なんの進歩もせんと、保守的な理想は対価を求めるばかりで、そこで維持しようと、意固地になりよるから、差別的な排除を繰り返しては、退化するばかりやねん。