機械的な余白、必死に読み切って、書き換える作業を続け、拙い着替えを終え、前時代的な髪型が云々と、うるさく付きまとうストーカーのような、カラスの群れや、たむろしている退廃的な描写にとどまる、病原菌たる君たちの性分などを、重複させ、反復させ、続ける先々で和解し、理解などをハンマーで叩き割り、猥雑な思念が捉えるトラウマや、愛されたいと、強請るだけで、何の正しさをも、手に入れられずに、ただひたすらに、敗北してしまうだけの、堕落した疎外感に翅が生えて、擡げる思いを、前足の爪で持ち上げ、飛び立つ姿を見つめる子供たちの、純粋無垢な目をも、汚すのが、世界さ、と、また、カラスが歌う厭世観なんてものの靄に包まれた今朝、補完された原理を漁る老人たちの肺胞を集める悪魔たちが、悔い改めるべきだと、うごめく過去から生まれたジレンマにより、憎しみばかりを育てては、惰性で引き延ばされた主観から、際限なく現れる原理や、あらゆる利便性を吐瀉するオオカミたち、貸与し続けた、思い出の保管場所を弄る偶像の手、構造的な蛇が祀られている神社、代償として、運ばれて行く、無実の動植物たち、モラルが何だのと、付きまとう人間の形をした何かしらが、不潔で、不吉な呪詛を促しては、即席の理由や自由なんかに、痺れた大脳が摩耗され、アンニュイとした思いを唐揚げにして、食べ尽くした朝、爽やかな君の香りや、無秩序に建てられた家屋、回線も混濁して来たし、機械的な伴侶には、絶えず軋轢を仕掛けられたりと、ままならぬままに、遠ざかり、交換されるものなどに、加担したが最後だと、うそぶく銀杏の木や、数億もの難民や、絶えず現れる戦争の痕跡、これほどまでに、愚かであるからこそ、まだまだ、愛せるし、改善の余地なんて、鱈腹あるのだ。