詩神は、愚かで無謀な者を愛すだろうし、虐げられても、従わずに、反発するからこそ、乾いた今に、詩的な潤いを授け、いつしかの真理も、足枷に変わり、狭まるだけの世界の中で、迎合されるものだけを、信仰したりして、支配される事だけを、受け入れる曖昧な自分との乖離や、数多ある懸隔や、あまりある時間に対する敵愾心や、定期的な苦しみによる泥濘や、慈しみや憎しみにより、凝固した精神を蝕む陽気や、カタストロフを謳うペシミストたちの、怠惰な昨夜に潜む窮屈な理想や、何度も、この苦しみと繰り返し対峙する永劫回帰や、延々と倦怠感を促す浪費的な君たちの制限や、プリミティブな衝動を撹拌させて、定めもなく彷徨いながら、長らくの苦しみから解放され、この、崩壊するだけの現時点に迫る濁流のような、幼稚な値や、爽やかな朝にすら、やって来る悠長な憂鬱の本性や、悲観したり、卑屈になったりと、忙しく動き回るだけの日常に現れる誇大妄想や、応答やら統合やらを目的にして、今に潜む悪意を滞留させ、過剰な愛により、歪んでしまった精神を蝕むだけの、幼稚な策略により、傲岸不遜になったりと、なだらかな憎しみが加速しては、今に意味を引き出したり、引き合いに出されたものに引き込まれたり、疲憊したり平伏したりと、思い出に這いつくばったり、奪ったり、威張ったりして、居心地の悪い今に蠢くリビドーや、認識するという事に捕まえられ、何か物事が、見えにくくなってしまったと、嘆き悲しむ人々が、備蓄する苦悩や、あらがうほどに、現れる苦しみから解放され、ささやかな幸せに帰り着く頃には、皆、老人になっている、と語りかける老人の言葉には、誰も耳を傾けないし、ここで、ないがしろにされたって、すねたりしないで、ただ、ひたすらに現れる問題を飛び越える健気さを蓄える。