昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

至福


 大量生産的に飼育されるという言葉で簡単に処理されるようなキャピタリズムの中で懊悩するものが、苦しみの末にしたがうことでしか自らを正せずに、ただあらゆる主義とは、一律のことを謳うが、一律のものなどないにもかかわらず、求めることだけには長けていくのが、思想というもののあやふやさ加減を信じ込むことが、枢要なものであり、崇高なものである、という勘違いを含んだ経済的な猶予から些事にこだわり、そこで拘泥し続ける限りに何かに置いて行かれることにのろけていく。克服されるべきは苦しみにあらず、克服すべきは、幸福と名付けられ、その幸福を追い求めるほどに現れる苦しみであり、求めるほどに不安とは増して行き、現れる苦しみにあらがうほどに、しあわせとは遠のくという幸福という名ばかりのものこそを乗り越えるべき超越を目指すべく、自分とは見つめることにより、見えにくくなり、憎むべき存在に変わり、そこかしこで偏りを示し、現れる苦しみを呪い続けるだけにいたる。あらゆるしあわせに寄りかかるだけの偶然的で偽善的なものが示す尺度により、自らを粗暴にあつかうことに現れる幸福の理論などは、ことごとくを昇華できずに、その場限りの幸福を追い求め、自ら苦しむことから逃げないなどと疑いもなく、自らを苦しめることに現れるマゾヒズム的な観念から、軽減されない痛みを連動し、ここで肉薄するものが、寄りかかる自らをも寄せ付けずに、そこで突き放す限りに、自らの理想と懸け離れ、用いられる理想とは所詮は、その場で偽装されるだけの企みに変わり、その場で枠組を作り出し、そこで保護されるものや、そこで保険にかけられるものや、そこでかけがえのないものとされるものまで売買される始末を描くような共産主義的な結末から、欠乏していくほどに何かを監視するという社会主義的な考えに還元されるものが平等を謳い、衝突を繰り返し、終わらぬ戦争へといたるだけの主義などは要らぬと叫ぶような実存主義的な通わしから、ならわしなどは、ここで何かを賑わすこともなければ、ここで高揚感も持たずに、雇用される苦しみを叫ぶほどに、自らの住まいを求め、ここで結合され、保護されることだけが、生きてるような実感を与えるようなものへとかすむだけの希望から膨脹し続ける憎悪から、相互理解を謳い、何かを法で加工するだけの品位から、立像とは、ただそこにたたずむだけなのに、苦しみをまとうのはなぜ?と君が思う先々で妄想のようなものが生まれ、その場でもまれ、生まれるものとは、そこで奪われるだけにいたるような空疎な悲劇から、刺激的なパラダイムから、同じような俯瞰に捕まり、そこで束縛されることだけが自らの猶予を終え、叱責にうなだれる俯瞰から、ここで即席の自由をうながすだけの寂寞をただよい、ただそこに現れるものを愛することをやめ、ただ責任から逃れるように放蕩し続ける限りに意志とは老けない。
 乖離する由縁が今に敷衍し、普遍的なものに抵抗を加え、自らに現れる栄光から、永劫へとつながる今に倦怠感をかかえては、短絡的な動機が走り去る。足音も聞こえずに、ただ現れるほどに老い続けることが断続する。継続する苦痛は、自覚するほどに痛みを補填し、終わらぬ苦しみや、そこに汚穢を生み出し、高揚感をそこない、即座に転換していく痛みを引きずる限りに苦痛を増し、慢性的な痛みを引きずるような域をさまよい、自らに転化していく痛みに代償などを求めるような国家的な偽装を生み出すだけの井蛙な主観がアナクロニズムを加速させ、分別ある大人として機能するほどに、子供を疎外させるだけにいたらせる先々でふかまる対立は、軋轢を生み出し、そこで狭まる域は、自らを抑圧させるだけに専念し、そこで軽減されない痛みにさいなまれ、そこで苦痛を膨脹させ、痛みを傍受し続けるシステムを強化させ、そこかしこに苦しみを織り込み、体系の中で苦しめることだけに専念するような宵を生み出し、儀式的に虐められる先々で誰かの痛みを解消するための対象として存在することだけが、その者の価値のように崇められる先々で惰性に敢行される暴力は住まいを失い、居心地も居所もなくし、ただ効力として現れる暴力だけが、今の痛みを解消し、あらゆる独善的な行為に葬られるだけの意図から、位置的な苦しみを伴侶にし、ただ憎むことだけに増幅する痛みは、自らを際限なく苦しめる限りにドメスティックなものを一貫性に変え、衆愚として機能し、何かを対照にしては、自らの苦しむと比べるほどに、自らの苦しみを解消するために何かに敵意を向けて、何かを蹴落とすために陥れるためだけにためらわずに攻撃し続ける先に現れる苦痛を解消するための儀式を強化させる。
 あらゆる神は幼稚な企みを超え、さらなる高みへと急ぐべきだ、と自らに語る。語る先々に現れる障壁を壊すような言葉こそが、言葉としての役目を果たし、そこで吐き出されたものなどは、瞬時に消え去り、形成される痛みを昇華させ、自らの価値に帰り着き、そこで戒律も持たずに、カタルシスをうながす限りに乖離する思いも、そこで思い出に変わり、課せられる意味も、そこで改正され、晴天を求め、ぬくもりある言葉へと行き着き、生きるとは暇つぶしであろうが、そこで諦観し、膠着しようがお構いなしに時間や空間を思うほどに、重荷は増えていくばかりで、そこで経験したものも、過ぎ去れば、幼稚な企みに支配され、枠組の中でしか働かぬものを正しいことのように信心していただけに満たなかった、と慰める隙間に色彩もあふれ、ただようほどに、ここで酔いしれることもなく、次々につぎはぎにされ、そこでつぐないなどを求める以前に定型のものとして、あらゆる要因によりかかり、果敢に挑むことを忘れ、「そこでおどけて魯鈍なものとして、いろんなものを排除する」よりも、そこで自らが自らの意志で踊るよろこびに耽る。