昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

リズム


 釣り合うために生まれた宇宙なのに、開いたりゆれたり、閉じたりしながら忙しく動き回る考えが、どこにも合致せずに、ただうごめく先々で飢えたり、咲いたり、裂けたりしながら、短絡的に適任するものとの適宜を敢行するように仕向けるような指示に反し、ここで関するもののすべては、わずらわしいものであり、そこで従うとは、虐げられるだけに至るし、要らない過程をふんだんに取りそろえた規律などに応じるよりも、ここで転換するものや、観点に疎外されるくらいなら、身体などは紛失し、分針をおりまげ、慢性的な痛みの奴隷と化するよりも、そこで渇するだけに至るよりも、取り柄がなくとも、一切合切とは隠滅するだけに至ろうが、おかまいなしに錯乱し、当たり散らしながら、ラストシーンに混ざり合う観点に転化していくだけの形式的な景色を破壊しながら、生じる由縁などを所持する辺りから、この命とは、そこに居残ることばかりを考えるらしいから、繰り上げられるものを棚上げしながら、退廃的な観点が用いるシンプルな理由を破棄するだけの観点に疎外されても尚、孤立するほどに燃えたぎる思いは、自らの大義だけで行き交い、介する間にむすばれる点と線すら無視し、流動するほどに、我が儘に至る先々で完成されないものばかりだね、と体制にこびへつらうようなうとましい考えにうとうとしながら、心配を謳うよりも、進歩を謳い、何かを見下すよりも、そこで上下左右を認識するほどに保持する感覚とは魯鈍なものを今に組み込み欺瞞を生み出すだけに至るから、そこで遅配するだけに至らせるような考えを引きずるよりも、そこで卑近なものに変わり、関連するほどに連立するものとは、物事の観点を疎外させるためだけに求められる考えにより混沌としていき、指定される意味の中で探す答えなどは、意味を搾取するために大量の兵器を利用し、あらゆる理性を奪い、奪うためだけに利用するものとの調和をめざすべきだ、となだめるようにばらまかれる安易な安心を枷に変え、世界性を狭めるだけの退嬰的なものや、体系的な焦燥感や、簡素な自由を目的に、固執するだけの精神論的な定理を打ち砕くべく、そこでプログラミングされたものを最良なものに変換すべく、すべては、仕組まれたものであろうが、そこで統合されようがおかまいなしに、成し遂げようが、刺し違えようが、さいなむよりも、最たる意味を見つけ、誰かを傷つけようが、機械的な論理が気配を奪おうが、そこで応用されるものに完治しない苦悩が内外で果てようが、あろうが、なかろうが、知らず知らずの内に過ぎ去るだけだし、過ぎ去っても尚、瞬間は永遠に閉じ込められ、そこでの陰影に変わるだけだし、堕落しても尚、短絡的な動機に凍てつくだけだし、さみしがっても、ないがしろにされるだけだし、駄作の今に起算されるものなどは、たよりないものを採算度外視しては、生産するだけだし、乖離しても尚、飽き足りないし、会いたいし、会いたくないし、屈折しては、掘削されるし、うるさいだけだし、打算されるものが迫り来る今に狂うのがにんげんだし、惰性でみちびかれるものなどが折り曲げる世界などが、世界として認識して欲しい、と強制する間に狂信するほどに求められる平和とは争いを求め、平和のための暴力や、自衛のための暴力が正当化されるほどに、平和とは遠ざかるのだ、と妥当な意味を位置に嵌めるための義務から、犠牲を絶えず生み出し、あえて求めるほどに恐怖だけが補完され、悲観するほどに関する間とは、何かとの調和をめざすから、馬鹿げた等差を生み出し、闘争へと変化するための原価率から、そこで還元されるほどに求める欲とはとめどなく、、用いるほどに、持たされるものの重さや軽さに気付かずに、ただ与えられたものを貪欲に貪ることが作法なのだ、と惰性な者どもが遡及する恨み辛みや、つくづくに旋回していく背反のリズムと、背徳の利得から、理性とは、徳を求めるほどに、精白さをそこない、自らの喪失感を埋めるための思想を利用するらしい、と羅針盤や、卵子に向かうまでのサバイバルや、そこでリバイバルされるものなどを暴くために、絶えずこの命とは同化するものだけを求め、惰性なものを打ち込むだけだし、打算されるもののほとんどは、補完されるための嘘を利用し、理性を奪い、利子を支払うべきだ、と迫るだけ、だ。