昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

淵源に敷衍する子


 プラスティックでできた街が一貫した融合を求め、高揚感などを破棄し、ただ機械的に従事し、結束することだけを目的に、大量生産されるための日々を制作し、整容されるために生まれたという欺瞞から、不満足をうながし続けては、即座に変換される理由を自由に変えるための等差を生み出す堕落した街でフラクタルであるべく、全体主義をあおる一過性の真実から、心情とは倒錯し続け、諦観へといざなわれる変化をおそれるだけの日々に恋に熱情しても、行為を愛してるだけであり、憎しみを変換するための愛は、行為に引きずられ、何かを愛するというよりも、その愛するという行為を愛しているだけであり、そこで背信や背徳があるほうがもだえ、寂寞に募る有する価値に対する反逆や、幼稚なギミックに関するよりも、そこで起爆するものや、緊縛されるほうが、よりよく快楽を感じるような解体から、懈怠しつつ綴られる軌跡に情事は、乗じる由縁や、遊蕩な季節にしのばせる詩的なエゴや、規制されずに、ただ規律を破る快感から、気配を攪拌し、存在すらも超越するような融合をめざすような愛がカタルシスへと至り、いたわるよりも、破壊的に関する間に及ぼす行為のすさまじさにより、互いはちぐはぐになり、担う意味を強制的に派生させ、互いを愛するというよりも、互いを破砕するためだけに振動を起こし、絶えず緩衝することにより、互いを守るというよりも、摩耗させながら、儀式的な行為に従事し、重用な意味との差異や、換算されるだけの価値へと送り込まれる確かさという足枷すらも外し、世界を保つための従順さを記号に変えるための幼稚な策略や、搾取されるだけの相対する疑念から、偽造されるための金銭や、貧寒なままにむさぼるものが織り込まれ、怖じ気付く瞬間に循環していく希望も、暴走を連ね、伝わるほどに、違う世界で、違う意味を形成し、瞬間は絶えず違う世界を次々に形成し、違う結果を次々につぎはぎにしながら、そこで形成されるものは何の影響も施さずに、その場で継続されるものとは、そこでの継続を有するのではなく、次々に生まれるものを終わらせるためだけに、そこでの終わりに現れる契機をむすぶためだけに現れる瞬間との契約をむすび、結び目も確かなものではないのに、ただむすばれるためだけに互いを無数にしのばせ、そこでちぐはぐになる意識は、そこでの終わりを汚穢のように思い、ただ儀式的な昇華へと至るための愛は、行為にもとづくための物事の多面性を恨みながら、因果に反し、老いが迫るよりも速く、その場から逃げ出すような意志は、速度を持たずに、モラルにしばられずに、しばらくに迫る憂鬱なものを即座に飛び越え、幽遠に潜む無価値なものにひしめき、悲観するよりも、揺動もされずに、動揺もせずに、同権を謳わずに、道理に関するよりも、反し貫くことの美しさにうちひしがれる魯鈍さが用いる論難や、浪費するための瞬間に心象は絶えずまさぐられ、偶然を伝いながら、追憶にひしめく数億の孤独感をたずさえ、ロジカルなほほえみから、連動していく星の終わりや、有益な死が静寂な静止画へと変わり、回転していく意識は、そこでの終末を称え、恬淡に希望を有することにことばすらもなくなり、なくなるものすらなくなり、ないからといって求めることもなくなり、そこでこごえるだけであるし、あらゆる喪失などは、相違を求めるだけで、そこでの喪失感を苦しむわけではなく、その先で失うことにおびえることである、と変化する瞬間的な受難を伝えるだけの法や、高利貸しどもが徘徊する資本主義的な周遊から、基礎を破壊するために、ここでハンマーを持ち、短絡的な破壊をめざすだけの堕落した信用を謳うだけの対価から逃れ、がらんどうな意思に嵌め込むための場面などは、軟弱な主観を捉えるために認識する瞬間で、存在を認めて欲しいという保身を補完するための空疎なものを生み出すために埋め込まれた意味の正しさを誤認し続け、つたない意思は、自己肯定もできずに、ただ認識を深めることもできずに、求めるばかりで、忙しく動き回る意思は、ただつたないものを信仰し、均等を謳い、用いられる意味との訣別もできずに、ただ現れるものを受け入れるほどに重くなる心身を引きずりながら、卑近なものに変化する。