昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

愛と名付けられる以前のもの


 言葉を持たぬ二人は、会話の変わりに意識の互換を繰り返し、書き換えられる記憶から、臆することなく、住まう意識に果てるだけの私情を捨て去り、理論を超えて、ガイドすら不必要なのが愛であるし、そこで普遍的に混じる瞬間だけが、愛であると宣言する間に埋められぬものすらなく、埋めようとするほどに、邪悪なものが生まれ、関係を遠ざけるだけに至るし、ここで類似し、痛みに変わるだけの儚さをちりばめ、集約される思いが二人一緒だね、と席巻していく意識に軋轢すらも生まれず、ここにはびこる愛だけが、瞬間を悟り、ここで知り得るものなどは、ほとんどの意味を持たずに、すれ違っても、またいつか出会うであろうし、ここで用いられるものにさえぎられるほど簡単なものではないよね、と笑う君の本質だけが、現象や現実をぬりかえ、真理すらもいらず、ここに構築され、意味として今を移ろうだけの感情が、様々な思惑を超え、現時点から遠ざかり、ここに用いられる時間すら、今に対処しきれずに、時間としての意味を果たせずに、二人の外観を傷つけることすら不可能であるし、ここに現れる永遠性は、すべてと対立を続け、そこに用いられる死すらも瞬間的な痛みから飛び立ち、たちまちに現れる痛みもぬぐわれるものだし、ここでもぬけの殻になっても、簡単な身体が交換されるだけの愛では満たされないような思いだけが、ここに永遠性を築くのである、と鮮明で聡明な意識だけが、意味を掴み、今に果たす義務を超越し、今に互換されるものだけが、正しさをも超越し、今に演じることをやめ、ないがしろにした主観からあふれる仁徳のようなものすら不潔に感ずるような愛だけが、本質が何かを知り、ここであらわされるものなどは、現れる限りに偶像や虚偽に変わるようなまがい物であるし、ほとんどが意思の道化であるのだから、二人の間に放たれる空気感のようなものだけが、延々と邂逅し続け、そこで出会う限りに終わる瞬間から、また何度も出会いと別れを繰り返し、同じ時を過ごすよりも、その時を追いかけるほどに一貫性すら失い、時間に追われるだけに終わり、ここでの終わりとは、今との妨げとの終わりを含めたメタファーに過ぎず、ここで過ぎ去るものに推理すら不必要だし、誰かが出し抜けた分、ここに現れる空白を埋めようと忙しく生きるよりも、今を厭い、自らの苦しみを際限無く綴るだけの過去に納期される不純な意識がベターなものとして扱われる以前に、ここに固執することなく、時間とは、ここに現れを作るようで、妨げを作るだけに至るだけで、本質すらも見抜けずに、ここで見間違えるだけに至るような痛みから、絶えず行進を続け、意識を超過し、そこに置いて行かれるだけの自分を傍観するような苦しみをも楽しむような瞬間から死を乗り越えるまでの軌跡から、ここで役柄を終え、演じることをやめた途端に現れるものが本物であるのだ、という幻想を乗り越え、ここで終える物語がガタガタと崩れ去る余韻にひしめく流動性や、君の躍動感から、君が信じたものが飛来し、嫌いなものすら好きになるような瞬間から、主体性とは、誰かの簡易なものとして扱われる以前に、自らを確固としたものとして認識し続けるための大切な主体であっても、所詮は、君といれば共感を求めるべく、共通項などを謳いながら、たゆむ現在におとずれる原理に折れ曲がるだけの主体が世界と対等さを求める先に平等さとは死に絶えるものであるし、世界とは、世界を認識させるための名ばかりのものでしかなく、君が産まれた途端にひろがったものは、君であるし、そこに世界などはなく、君を含めたすべてであるし、そこで雇用されるなどとは思いもせずに、ここで設置されるだけに義務などを生み出し、ここで狭まるだけの価値を背負わされ、そこに些細な苦しみも厭わずに、ただ支払うための義務に追われるなどとは思いもせずに産まれた輝きから、加算されるだけの意味にあらがう二人の世界すらもすぐさまねじ曲げられるが、二人ならば修復できるだろうし、ここで祝福を用いずとも、今にしあわせすらも乗り越え、ここで固執するだけに終えるような物事からの飛躍を遂げ、今にとがめられる以前に、ここで鮮明なものを生み出し、高揚感をたずさえ、いつも浮遊しているような感覚で雲の間をすり抜け、疲れも知らずに、そこかしこに産まれるものを通過し、自らの力を蓄え、その位置からいつでも飛べる準備を蓄え、その場で降りしきる雨に濡れても負けないような君の情熱がひしひしと伝わり、君との出会いをまさぐるような夜が敷衍し、やがて、静謐は預言を蓄え、季節に封じられる感情を解き放つほどの愛が補足するものだけが、自らを兌換し、絶えず産まれるものだけが、愛と呼ばれるべく、そこで愛と名付けられたものは捨て去るの、だ。