昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

偽装された理想


 電子と原子と分子が摩擦し合う音が官能的に響き、偏執するための差異や、たむろする意識を破壊するためのミサイルがふりそそぐ論理から、仮想される先々で短絡的な記憶は抹消され、ここで真っ直ぐなほどに、苦しみのるつぼにはまり、がんじがらめになりながら、担う意味などは選択を求められるほどに魯鈍な苦しみへと運ばれ、散漫な意識は、何かを求めるほどにとめどなくあふれる苦痛こそが証拠である、と勘違いを施しながら、歯止め無くあふれる苦痛だけが、自らの存在を認識するのだ、と交付される幸福から、屈折した意識が履き違える意味や、蔓延る悪意を充填するために普及される普通や、不潔な精神を敬神へと至る者が物陰からいつも見つめ、いじめるだけに至るような現在に原理的な悲愁や、強制収容され、労働に従事させられる普通から、寡占され、独占されるための愛は、全体的な愛へと至らずに、小さな世界を席巻するために用いられる愛だけが、愛と名付けられ、ただ愛するとは、愛されることを目的に同じ位置には立たずに求める地位から、与えられる権力が合理的にむすばれる先で独善主義的な徳から、功利主義が屈折し、全体主義へと至るまでの経路から、回路がショートし、解析することも愚かなギミックを象徴として捉え、ロマンチシズムが傲慢な意味を伝える深夜に媒体する物事が道理を謳うころには、ここでの苦しみだけが永続し、そこでの現実だけが、苦しいことを再認識しだすことから逃げ出すべく、ベクトルとはマイナスな魔物を発症させ、介する間に理解を求めるだけの合理主義的な理想へと帰巣するほどに、介する間に時間は生まれ、そこで眠るものの邪魔をし、邪悪な者こそ勝つのだ、と規制する側つまりは、体制こそが市場的なものの絶対的な法であり、十全とした価値の支配者であり、背く者に対する独裁者であるのだ、と偏った思想は、偏った理想の価値を叫びながら、散漫な下意識から汲み取る意味から理想とは窮境では屈折し続け、端的な理想は、短絡的な教祖を生み出し、競争することにより、垂涎する者ばかりが増幅し、磔にされる輩が謳う平等から、もっともな恐怖が配布され、配備される間に用いられる結末の中で対立し続ける憎悪を持ち寄る覇者から、端くれにアイロニカルな衝動を続ける鬱々としたものの正体を暴くべく、あいまいな理想に帰巣するための理性は、リスクを求めるよりも、そこでとどまることをおぼえ、横暴な支配が継続されるよろこびから、揺動されるだけの間に結末とは、嫌疑すらも用いずに、権利を謳うことだけに専念し、遷延した回答が倒壊するまでの間に寛容さは消え去り、規制されるだけの間から背反することもできずに、関するほどに距離とは生まれ、そこで思考するほどに迫害されるだけの結末に短絡的な回答をアイロニカルに消費するだけのペシミスト的なポエトリーがリリカルな焦土を生み出す間に貸し借りされる命とは、監視されるほどに罪を犯すことに興奮をおぼえるような幸福論から、論証されるものだけが、ここでの本質に過失を与え、否定することをよろこびに感じるほどに、その答えの中でしか機能しないアカデミズムの虜になり、徒労を重ねる間に閑散とした意識は、感覚を損ない、生じる痛みを侮蔑するだけにさえずる記憶は最たる意味を失い、内向的な本質から、痕跡すらも残せずに、蓄積される苦悩や、能動するほどに、行動とは同化することを求めるような孤独をかかえ、パンデミックする痛みは、そこで理不尽に流布される真実などにより目覚めるだとか、とうながすような端的な信仰から逃れ、自らを信用することから、存在とは軽々しいものを虐げ、そこであたかも存在しているかのように捉えるものなどのどれもは、存在していることを認識する事により、その存在を強固なものに変え、自らの存在を確かめるように、容易に幼稚に拾い集めるものなどのどれもは、価値を与えられているからこその命であり、名付けられた最後、そこで存在することを強制され、そこでの価値を決めつけられ、自ら駆動することもできずに、出来合の真実を崇めるための理想を組み込まれ、屈辱にまみれ、朽ち果てても尚、その苦しみを代弁する者により、利己的に語られる名などを捨てて、いっさいは結末へとひた走るほどに被害者意識などをたずさえ、今を悲観するだけに至る。