拡散されるエネルギーにより、薙ぎ倒された木々、立ち並ぶショーウィンドウに目が眩み、囃し立てられる憎しみの道具になり、構造的な豊かさや、誘惑に負けているだけの人々、悠遠に瀕する思いが黄昏れ、雄大な理想の中で歪むだけの証拠、与えられた答えや結末を塗り替えるために、ただ、ひたすらに、忘我に祈りを繰り返す老婆、ファシズムにより、揺らぐ分針や、立証されるもののほとんどに、補填されてゆく思いの立像に、頭を下げて、瞬く間に現れるルサンチマンの道具になり、偶像崇拝や、腐敗した神話や、不要なものとして、路肩に捨てられた私たち、猥雑な改ざんを繰り返す輩が謳う真実も、今に女々しい言葉なんかを語っては、煩わしい生を昇華させてゆく間から、湧き出てくるエレジー、空間を切り裂くコード、圧縮された余韻や、逡巡している君、繰り返し偽装されるための日々をでっち上げ、雑念ばかりが頭を占領して、厭世観で誤魔化すだけの、怠惰な空間で、良心の呵責に震える生命、根源が焼き付けられ、可能世界の中で、可能なもののほとんどは、君を愛したり、守ってくれたりもしないし、語りかける雲や太陽も憎たらしく、真新しいものを掲げては、今を誤魔化す仕組みや、そこで反いたり、そっぽ向いたり、無碍にしたり、無限性の中で、押し広げられてゆく苦痛が通過し、物事の観点を翻し、もう一度、自分のこの、独りよがりな思いだけで、この世界を、正しくしてやりたいと、行動するほどに、犠牲は増えてゆくばかりだし、食べるために遊ばれたり、暴かれる意味の中で、価値観などに、報復を繰り返している少年少女たちの焦燥感や、奪われてゆく命の儚さよりも、その簡単さに驚いて、何も感じられなくなってゆく感覚に平伏すヨリも、今に誉を見出し、本質や真実の中で、もがけば、もがくほどに、現れる空白や、揺さぶられる感覚、捩れる身体や、蠢く頻度、派生する理由を超越した途端、全ては、自由に動き、誰にも咎められる必要なんてない。