窮屈な日常から解き放たれ、誰かが騙る幸せなんかに加担せずに、誰かが、こう言うからと、信じ込むほどに、紛らわしい現実が付きまとい、毎日の足跡や、束縛されるだけの恋から、寛容に受け止め、受け入れる愛に変化するまでの時の流れに、入り混じる全てを保管するための、器になりたいのだと、野晒しの記憶を刷新するための、消しゴムやらを用いて、引き合いに出される誰かの行いなんてものにより、自らを否定したり批判したりせずに、幼稚な答えがもたらす憎しみの数々や、曖昧で虚栄ばかりが作り出した真実というものに引き摺られては、誰かが用いる答えだけが、ここでの平穏を作り出すなどという幻想を吐き出すコマーシャリズムや、偶像と捏造ばかりが、まかり通る情報などに、絶えず左右され、ささやかな幸せとは、ここで、豊かに作り出す喜びに呆けたり、耽ったりしながら、踏んだり蹴ったりの日々からの悔悟なんてものに、苦しんでいる暇もないから、ここで、何かを加算させたり、補完したり、完備したり、支配しては、従える喜びにより、偏る自らを、立て直すために、さらなる支配を続け、誰かに憎まれたり、余罪を追求され、身動きも取られなくなるほどに、積み重ねた悪事から解き放たれ、たちまちに現れては、複製され続けるだけの、惰性な正解に酔いしれているだけの、アカデミズムなんかに反し、ここで学ぶよりも、自らが選んだものを学び続け、懈怠したり腐敗したりする前に、この独善的なものに支配されているだけの、退屈な世界の体系なんかに、組み込まれないために、逃げ去り、どこかで隠遁し、徒に意味を摩耗させずに、静謐に今を漁る。