昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

なだらかな身体

簡素な週末を泳ぐ魚、凡庸でなだらかな毛で覆われた丘で眠り、利息分の云々などは知らぬ、と嘯きながら、つまずく私は退嬰的なものに引き摺られるより、健気なままに粉骨砕身したりして、従わないから美しいのでもあるし、そこで俯くこともなく、理を謳いながら、仲違いするだけの彼らの孤独や、互いを破滅に追いやるために、欲望の限りに進むほどに、老いはすぐさまやって来る的な昔話を信用するほど子供でもないし、おどけて良くできた話を信心するだけの、馬鹿げた日々の空隙に嵌め込む確かな愛には、隙間一つなく、少しでも欠けたら最後、すぐさま孤独に打ちのめされてしまうし、しまいには、自らを死に追いやるだけだし、堕落してもいいではないか、死ぬわけではないし、なんでも良いではないか、すべてはどうにでもなるし、どうにかしたところでだ、誰かが勝手に壊したり作ったりを繰り返し、誰かを羨んだり恨んだりするから、いくつなにかがあっても足りないわけだし、割りに合わないからって、かすむ日々に結ばれる睦まじい瞬間を愛でたり、目出度い日々にデータは不潔に感じてしまうし、食べることで遊びたくもないし、満足をもたらすために動き回るだけの短絡的な消費者として、資本主義の幻想に捕まりたくもないし、散々な日常を配下にして、威張りちらすだけのラストシーンに、労いの言葉なんかを謳うような連中が示す普遍性とは、不衛生さを謳うのにもかかわらず、自らの汚れには気付かないからタチが悪いし、立場をわきまえろだとか、脇目も振らずに、フラストレーションが溜まるままに、嵌る日々はがんじがらめになって、嘆願すればするほどにすれ違い、補填されるほどに、さらなる憎しみは増加し、増幅し貸与した愛から引き出す憎しみにより、自らを醜く変化させるための善悪を厭う先には、供儀として捧げられた連中に支配された者たちが謳う悲劇に寄りかかるだけの、ペシミストたちが謳う連動するための悲しみが示唆する終末論なんかが騒ぎ立てる催しにより、妄想がこじつける安易な結末に裁かれるためのモラルなんかが持ち出す驚異的な誤りを信じてばかりいるような世界から決別する。