昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

結末はいつも暖かい

もう何年も孤独なクリスマスを過ごしている。いや、記念日なんてものは、ただ誰かが定め、決められた法や答えのようなまやかしに騙されている暇はない的な発想に寄りかかる、というより、あえて一人を選んで人生の難易度をあげている的な中二的な発想を堅持しながら、誇示する理由を深く掘り進んで、根っこにある矜持なんて引っこ抜いて、粉々になるまで踏みつけたいが、この孤独というものは依存度があるらしく、あてがわれた意味や罪に騙されるよりも、この孤独が鳴らす生活音だけが添い寝してくれるのもありか、などと独り言を言い放ち、ながめる天井では、数々のドラマが繰り広げられているようなシミやほこりなどが、散漫な意識を覆い、いつのまにか、眠りに屠られ、全宇宙とフラクタルであるために、眠りの深度数万メートルにまで引きずりこまれ、悲観するよりも速く眠りに逃げ込む。みんなと同じ時間を生きている、とか同一化することでしか、生きている実感も湧かない魑魅魍魎との付き合いはやめて、あらゆる悲劇を濾過する濾紙を眺め、コーヒーが染みることにより白い紙が黒に侵食される朝の荘厳な物語、ものものしく迫る年末の憎悪、犬歯を磨く犬猫の表情、モニター越しに映る自分の顔の暗さ、寒さに妨げられ、雪に濡れ、世界にフラれた気分はどんなだい?と代用品たちが騙る明るいだけの場面で唾棄される汚物のオブジェクト、あらゆる偏見を持ち込んだ夕食では、何を食べても満足できずに、終わらぬ空腹に苦しむ君の飢渇した心が飢餓状態に陥る限りは、求めるほどに増して行く空腹に苦しみ続ける。そのような数々のドラマの合間に比重をかけて、道徳などを破棄して、破壊し尽くされるだけの世界での利用価値を語る者たちが強制解除などを進め、君の人生を終わらせようとしている、と嘯く陰謀論なんて退屈であるし、そこで体系化したものが孕むアイロニーになんて騙されたくもないし、君たちみたいに現実でもネットワークの中でも騒ぎ立てるだけの奴になんかなりたくもないし、自己啓発なんて思考停止している連中の現実逃避のためのツールであるし、所詮は誰がいくら儲けて、誰が誰とヤッたとか、そんな下世話なトークがひっきりなしに繰り返されている。