昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

補完されるための傷


 センチメンタルな傷口にぬりたくる塩よりも、痛々しい回答が故郷を破壊し尽くし、面影が空白を汚し、軽々しく語られるものが、今を食い尽くしていく。私の観念とは、シュールレアリズムに加護された胎盤の中で演繹し続ける虚空の子して、唯一システムに反する者にすら反する者として、物質をも切り捨て、構成されるものが偏執し続ける先で、カタルシスに至る。思いを陰らせるための怪我を絶えず生み出す子供たちの皮肉から、貧寒な原理にもとづく永劫に形作られるものにより陰る本質から、憎しみに従属していく住まいを抜け出し、タンパク質を破壊し、溶け合う液体と化する辛気くさい真理にもとづくものが元手を求め、手懐けられた意図の中で位置づけられるものにより崩壊する形としての間隔に平行し、昏倒していく意識の中で生み出される懸隔へと配される愛を渇望するだけの欲動に移り変わる形式や、景色や四季をも破壊するような異物感をかかえ、場違いな思いから、罰当たりなものを生み出し、ここで継続するものに臆するだけの思いを唾棄し、シンクロする思いも、いつかはファシズムに変わり、リリカルな唱道は、何かに反するためのまじないとして、あらゆる思想を破壊するための機械的な共鳴から、緩衝すべき愛も、ほぼ滅びの歌を歌い出すための経路を渡り、快活な者ほど、何かを破壊するような定理にもとづくエゴだけが、エゴたり得るのだ、という貧寒な理想から、機関的な間違いを改めるべく、求められる金よりも、手にするほどに増幅する至福に至らせるようなよろこびを生み出す機械たる金銭を延々と生み出すべく創造的であり続ける私は、何かを求めるよりも、用いられることにより苦しめられるために絶えずもたらされる苦しみを反芻するだけの人間的な過ちに帰巣していくためにもたらされる体系化から放たれ、たび重なる苦痛を処理するための淫蕩な季節に配属されるための過ちから放たれ、継続されるものなどは、ここで苦しみを延々と漁るための警報をうながすだけに終えるような悲観的な誤りから、感応するほどに、感覚とは愚鈍になり、続くほどに、ここでの答えとは攪拌されずに、保たれるためだけにもたらされる苦痛を通過できずに、課せられる痛みを弔うこともできずに、用いられる死を利用し、自らを不安と平行させるための心理状態を生み出し、淘汰されるために問い質され、透過できずに、痛心に至るためだけにためらいを絶えず生み出し、退廃的な思いにこうむる先々で自傷的な構図に巻き込まれ、自らを世界の駒として、調和できずに、出来合のものにシンパシーを感じ、自らを倒錯させるための演繹から、晦渋な思いに耽る顛末から、対立を深める現時点にもたらされる暗い思いが空腹をたずさえ、複製されるための真実に実証されるものだけが、真実のようにたずさえるべきだ、と叫ぶような野良犬のコードから、恒常的な苦しみだけが市民権を得るのだ、と妥当な意味に渇するためのためらいを絶えず巻き込んでいく生き方だけが、あたかも生きているように騙ることにより、生きていることなどは軽いものに変わる。物質的な亢進から、構成されるものだけが、今の正しさを語ることにより、改善されないままに滅ぼされる私たちをとがめるためのペシミズムから放たれ、そこで感じる痛みなどは幻想であり、そこで得る幼気で健気な思いが汚す低域に蔓延るセンチメンタルな思いの継続を求める理性から放たれ自らの思いを横柄に継続させる。何かをこじ開けるために生まれた私は、生まれたままなのに、何かに変わるべきだ、と座礁した者が騙るうわべだけの権利などを叫ぶ連中が示唆するものが支配する以前に帰り着き、戒律すら持たずに、帰り着くころには、彼らの動機や、彼女たちが求めるしあわせの横柄さに閉鎖的になる暇すらもないから、内面性にはびこる虚栄や、強制的に迫る定期的な定理に苦しむよりも、空間的に継続していく気配に排斥されるものが築いたものを批判するよりも、否定に至らずに、至らぬ思いを継続するために契約を続けるような法にうとましくからまる思いを切り離し、思いとは、思うことだけに反響するほどに思いとは強度を増し、自らの思いを濁らしたりとがめたり尖らしたりしながら、しなびた感覚に新たな息吹を吹き込みながら、混濁した意識は、位置づけられることにより、ここに居続けることだけにむすばれる無数の過ちや、あいまいに示唆するものが支配を続け、ここで継続されるものの軽薄さに気付かずに駆除されるだけの思いはもやもやをかかえ、妄想するほどに気配を攪拌され、自らの悲しみに誘導されるだけに至るし、いたわるほどにいらだち、居続けるほどにいびつに形成される過ちとの契約を結び、途端に苦しむだけに至る精神は、軽薄な理想を掲げ、何かを支配するために破壊することだけに重きを置き、応じるだけの答えに追従することだけが、ここでの正しさを永続するなど、とうそぶくの、だ。