昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

現存

どこにも罪はないのだからと、すべては涅槃に行き着くべきだと、死と自由は語る。人格者を気取った普遍的な制度や正義は、自らの法を盾にして、国家の維持や、社会の規律を重んじるべく、犠牲を孕みながら、憎しみを簡単に操作する。原理的な怒りが、悲観的な兵器により、すべてを焦土に変えるころ、孤独な支配者は、自らの悲しみをかき消すために、純粋無垢な破壊を続けるのだと、妥当な位置から放たれる弁証法を利用し、報復を叫ぶ。どちらの正義が利口なのかと、加算する痛みが参画する意味を攪拌しながら、迫る今とは、すぐさま過去になり、追い求める今にとどまるから、老いていくだけであり、その場で束縛されるだけの理由に利用され、過去に収容され、身動きを取れずに、引き合いに出される愛により、歪んでいく価値に依存するだけの民衆がふやけて、諦観したり、足りないからとねだったり、願うばかりの人々が謳うモラルなどにたゆたう合間に朽ちる。現在のぬかるみに嵌る君が拘泥するものを肯定するような軽薄な啓発などは、啓蒙に至らず、今の痛みをごまかすだけであるし、そこではポリティカルなものが働きを加え、空疎な自分を弁護するための詭弁により正当化される自己などは、自らを理解できずに、理解を求め、なにかを利用するだけであるし、そこでの利便性を高めるための、まやかしに引き摺られ、まとまらない思いは、今に悲観するだけである。