昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

何もしたくない

ファシズムは加速し、抑止された精神はすれ違い、簡略化された罪が進行し、普遍性を崇拝する隷属するだけの人々が報いを求め、禁止と抑圧を謳うようなネットワークにより改ざんされる思想はやがてレイシズムを生み、あらゆるものを排除し、考えることを麻痺させ、慢性化した痛みが信用を用い、信心することでしか、自らを正当化できないような吐瀉物を撒き散らす論理的な傷痕をかきむしるだけの敬神から乖離し、幻想から抜け出し、現実に帰り着く。自らの意志と邂逅し、さあもう一度と、諦めぬ限りは意志は硬化し、何事にも軟化せずに、ただひたすらに鍛え続けられた意志は、折れずに、自らを引きずりながらも、前へと進む。結ばれるために我々は存在するのかと、損得だけを謳う尊厳は、厳正なる抽選により、蹴落とされ、ただ愛されるためにもたらされる価値により瞬時に狂わされる。もたらされる不安とは、そのような価値が生み出された自らの意思によりもたらされるのではなく、もたらされたものにより狂わされる。与えられた価値などに指図される限り、繰り返し苦しむばかりであるし、あらゆる偏見を宣言するだけの囲いたる国家や、独善的に有する理不尽な罪と法により加工された現代的な憂鬱に垂涎する亡者とも謳う真理などにより、真実とは信心し、神頼みするための理想などにより、意思とは奴隷と化する。


行き着く先は闇などではなく、光り輝く先に対立を深めるだけの真理に基づく苦しみにより毒付き、均等なものなどなく、ただ現れるものは、ありのままの姿を保つべきである。足並みそろえると、自らの足で歩くことを見失う。歩くとは自分の意思だけで進むことだけが、歩いているということを認識する。歩かされているだけでは退屈であり、簡単に疲れてしまうし、さ迷うだけである。焚べるべきは、自らの情熱の火を絶やさぬようにと、延々と燃やし続ける。与えられる恨みなどは、誰かが歌った恨みが伝染し、自らの恨みのように変換され、同一化した苦しみは憎悪を生み出し、終わらぬ苦しみを貪るだけのルサンチマンが世界を席巻し、短絡的な破壊を呼び覚ます。真実と呼ばれていた愛も、嘘であることがバレてしまい、情報により錯乱する者どもが悲観的に破壊する快楽的な腫瘍を取り除くために、愛とはもう一度真実であるということを取り戻すのだと、宗教的な臭気や瘴気が人を狂わせ、くたびれて呆れて、疲れ果てた私はバビロンが云々とかというよりも、すべてにウンザリしているからこそ、我々は何度でもやり直し、簡単に先に進めるのだ。