昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

しあわせ

悲観的な君がこぼす果汁、しあわせなひとときが波及し、さらなるしあわせを巻き起こすために生やした翅、喪失感を茹でて、マヨネーズをつけて食べる宇宙の隙間、色彩があふれ、あらゆる諦観を捻じ曲げ、君の筆跡をたどり、たどたどしい所以を即座に補完するための短絡的な計画を緩衝させるために、あらゆる手を尽くし、交響曲で踊る傀儡や、ふいごから空気を送られて鳴らす喉の音や、ミサイルにより倒壊していくビルをながめる憂鬱な青い目や、不規則な日々に募る裕福さとは、この一瞬の静謐であり、自らに包まれるように、誰かを包み返すことができれば、世界平和なんて考える必要性も無くなり、誰かのぬくもりさえあれば、頭も冴え渡り、なんとなくではあるが、この退屈な日々で体系化なんてしなくても、あるいは、国家的な枠組みなんかを取り外してだね、永遠平和を完結できるのではなかろうか、とカントと語り明かす地続きの私たちによる弊害などは、簡単に解決できるはずであるのにもかかわらず、私たちは小さな戦争をそこらじゅうに引き起こすし、引き金や起因は小さなことなのに、それを許すのは、なんでこんなにも難しく、がんじがらめになるのか、と加算される苦しみが呼び覚ます猜疑心や、歪んだ正義感や、かんじんかなめなものを無くし、ただ批判するだけで乗り越えられなければ、なけなしの日々の中で端金だ、と諦めることもできずに、求め続ける限りは欲の道具であるとか、宗教的な戒めに騙されることもなく、ただひたすらに許すことに、宗教的なものなど関係なく、ただひたすら許すことに寄り添う。四季折々に折り返し、また重なる。究極は、そこでの硬度ではなく、どこまでも溶け合い、重なるほどに、解けていくことにより、互いを許すというよりも、ただ同調し、同一化するよりも、さらなる融合を目指し、共同体であり、運命をも否定し、孤独なままに進む後ろ姿に、強要や共有を飛び越え、同じであるというよりも、私であり、君であることが、最優先になり、誰もが似たようなものを、ただひたすらに求めるような誤りに気付いた時には、憎しみなどは、過去の遺物になる。