昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

毎日

痩せた感情が吐き出す愛、トランスミッションたる君の加護、蓋然性を食べ尽くす、アナグラムの号哭、期待感を孕む後先に迫るイデオロギーなんてものに、たいそうな正義を重ねては、戸惑いを食む音で、踊り明かそうよ、と途絶えることなく反響する意思だけで、世界を加速させる数多な私情、惰性で生きて来た君の域から放たれる荘厳な面影にたじろぎ、擬態化する虫たちの寝息が聞こえるほど深い深夜、形骸化した位置から放たれるおやすみから、汚穢を引き摺る鼓動やら、原始的な帰巣により、ふやけた身体は、本能を取り戻し、侵食してくる苦悩などにうねる心情が、理性を取り戻し、女々しい自分を排除し、はびこる愛を担ぐようなニュアンスや、ニヒリズムなんかに屈さずに、屈託なく笑う。時間に磔にされた、ニセモノの自分、細胞分裂を繰り返しては、虐げられた日々に求める償いの馬鹿らしさ、乱立する数字の山に迷い込み、三日三晩悩んでは、サクリファイスとしての自己の根幹を焦がすほどの落雷よ、妨げられぬ意思には、タグ付けは、無効である、と旋律が掻き乱す幻想的な空間に噛み付くクワガタ、そのような、夏の馴れ合いのような言葉に外付けにされた未来、複数の愛に群がる喜び、たちまちに氾濫する狂気の批准、妖艶な隙間に配備される確かさを胸に、悲哀に寝転ぶ猫の余裕に、委ねられたものから、即座に遠のいていくことにより、この今は、豊かなものに変わるのであるし、争うほどに、ほとんどの凡庸さは消え去り、境目なく愛することを知り、支配的な輩に順応するために、生きているのではなくて、そこかしこで儚く散る思いが、確かな可能性をつなぐ、パトワ語を話す鳥たち、寄りかかる自由と、今の不自由さが、フラクタルになるころには、ほとんどの差なんてものは、無くなるもの、と諭し、投影されるものすら、ほとんど何が何かわからぬままに、今に皆、通り過ぎるだけであるし、わからぬままにありがたっていたり、眺めたり崇めたり、はたまた集ったりしながら、謀ったように現れるものが、あたかも真実のように許容した途端、物事とは、曖昧になるのだ。