昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

悪との決別

時間とは老いていくためのものだと、概念にうったえる獣たちの悪臭がただよう端的な主観を破壊するための、永劫から放たれる意識的な結末へと運ばれる蓋然性の天敵である私は、修正をほどこされるだけの短絡的な交換を終え、緩慢な集まりから、収容されるための君たちの形式に結末を与えるために、ワタシトハ存在するのだと、妥当な位置に付け加えられる価値などは、粗末なものであるし、あらゆる終点にからまる終世へと迎合されるだけの端末がうながす退嬰的な習慣や、約束や契りなどがうるさくつきまとう儀式的な根因から放たれるべきなのに、絶えず契約的にむすばれることが、愛の形であると、あらゆる軋轢を生み出す空疎な婚姻から結合されるもののほとんどは、貪婪な戦争へと、あるいは横柄な結末へと引きずられるための卑近なかかわりから、介在する意識は、段落を生みだし、惰性な域から、一生とは、悲観的なものを補完するための空疎な互換性を耐えるための日々なのだと、妥当に生み出される拘束的な交換こそが、ここでの愛を保つ秘訣なのだと、等閑な者がほどこした、罪の行方や、生みの親をも破壊するような精神分析の汚穢から逃れるために、自らを分析する位置的な汚穢やら、憎しみが生み出した思想的なシミやら、誓約するほどに、神との距離は生まれ、神を思うほどに、すべての距離は生まれ、空白を生み出し、今に迫害され、あらゆる罪の奴隷として、貪婪な破壊を続け、今をむしばむために、絶えず阻まれるだけの惰性な命は、ただ今に引き伸ばされることだけを求め、生きるというよりも、敷衍し、分裂し、どこにもとどまらないように遠のくのが摂理なのだと騙る今の傀儡にすらならずに、ならず者のままに、欺瞞や不満足を謳うだけの堕落した主体が修正を求めるような、主義的な傀儡であることも辞め、体系的なものすべてを破壊し、作り直すよりも、作り上げることに専念するような修正主義的な矜恃をもへし折り、自己に混同する個人主義的な衆愚として、強制されるほどに、全体主義に加工されるだけの堕落した主意などを破壊し、完全性を求めるような神自体を燃やすような静修の後に、捕食される自己を傍観するような自己を超克し、短絡的な看板を模倣するだけの生産的なプロセスすらも邪魔であるし、ここで禍禍しく混ざり合う貪婪な日々の秘密や、君の緻密さを瓦解させるための絶え間ない闘争などが切り開くような未来などは、次々に貪婪な独裁者を生み出すだけであるし、世界とは、世界と名付けられ主義を埋め込まれた途端に独裁者をどこにで生み出し、媒介させ、培養し、浮揚させ、複製するし、つたない意識は、全体主義社会主義に引っ張られていくし、互いを監視するほどに、邪推する現在にうごめくネットワークなどは、自らを拘束し、抑圧するためだけに存在するし、自らの意志などは、存在すらしないように騙られる間に生まれる欺瞞や不満足などに引きずられるほどに、自らを卑しいものに変えるのであり、そこでの変化を恐れる限りに陰る本質などは、真実を踏み躙り、憎しみを生み出すだけの個人的な憂鬱を兵器に変えるだけであるし、平均を願うほどに、物事とは偏りを生むし、安い賃金でずたずたになるまで働かされることに疑問すらも持たないで、清いもののように崇めることにより、より強度が増していく現実などに競争という心理が生まれる限りに、奪われ続けるのが意思であるし、あらゆる原理とは、原因に引っ張られるよりも、遠因により引きずられ、確かさを足枷に変え、自らの身動きを封じるだけであるし、あらゆる裁きを受けるためだけに、絶えず罪とは捏造されるし、あらゆる裁きとは、今に空疎なものをばらまき、罵声を浴びせ、達観し、見下す限りに、見失うものばかりであるし、物が時代を左右し、時間を奪う限りに、この命とは、どこに居ても何を持っていても不自由であるし、考えることをしないで、何かに左右されていくことが幸せだと勘違いしている間に生まれるものは、諦観と諦念であるし、何かを諦めるほどに、あらがうことを忘れ、そこで駆逐されるか、悔いを謳いながら、老いるだけに差異などなく、淫靡な結末に酔い痴れるだけの教条主義的な快楽にひたすら溺れるだけの現在に絶えず押し寄せる苦しみは、均一や普遍性を謳うほどに、不正の犬として、不満分子として、何かを分断するために姿を隠し、悪意を拡散し、世界を攪拌する幼稚で悪趣味で醜いものをコード化しては、偽善的に振る舞う。