昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

するどい個体

雨ん中、どろどろになって走り回る子供たち、ソドムとゴモラが感情的にひたる今にシンパシーがなびき、来たるイメージが衝動性をくすぐりながら、儚さは箱ん中で媚態を拡散し、モラルなんかはいらんから、ただ散りばめられる詩の儚さだけが、フラクタルだからと、身体を兌換するだけの、キャピタリズム的な信仰を超えて、楽々とひとっ飛びに、卑屈な真偽なんかに犠牲にされる前に、制限なんかを得るファストフード的な狩りの最中に、模索する真理なんかは、病んだものであるし、うやむやになる物語の中で、下駄なんかを履いて、おしゃれに歩く官能的な帰り道、満ち足りんからって、勝手気ままに生きるんが、私の役目であり、保身のために、うそつくよりも、この心音が鳴り続けるかぎりは、加担するんも、懈怠するんもあれやし、あらがい続けるんが、私の生き方とか、枠に入って規制されるよりも、気配を隠し、ノスタルジーにしずむ暗闇で涼む鈴虫たちの歌声や、感傷的にまじわるだけの、不確かな思い出なんかにひたるよりも、悲観して、たよりないものに偏るよりも、見透かして、冷めたままに、過剰に受け取る情報に溺れるよりも、ただひたすらに還元されるものを受け取り、奪い合うだけの日々に倍増していく苦しみに耽るよりも、なんか拠り所もなく、気だるい戒律に締め付けられる前に、逃げまくるんがセオリーとか、そのとおりに進むんが嫌いやから、綺麗なもんを、そのままに愛するのは、不可能であるし、あらゆるものは、汚くなるからこそ、愛らしくもなるんやねとか、綺麗事を放ちつつ、たよりない帰り道は、あらゆる真偽を確証することもなく、答えとは、還元されるだけの、デタラメに過ぎんのかと、感動するのです。