軽快
鳥のさえずりは希望の唄。ボウフラたちが雨降らす頃、ちょうど良いのは君の寝息だよと、ゆらゆらと真理を超克する私の無心をむしばむ窮屈な進路。夕闇にひそむドラスティックな歓喜。夕食を卑下する人々の生活。正解は短絡的な豪華さをふくんだ普遍性。並行する景色を迎合するだけの盗用。むすんだり離れたりいそがしいから、解決なんかに至らなくても、しあわせだよと、編み込まれていく今が強度を上げ、誰も陥らないように仕向ける。悲しみにくれる人たち。さようならと連呼する秋の虫とススキがゆらぐ、ゆるやかな風。たちまちに風邪をひいて、瞬く間の後悔を引きずる命の轟音。うなる心音が刹那を切り裂き、悠遠になびく瞬間が永遠を飲み込んで、捕食された思いは虚飾にあふれ、はびこる悪意によって引き裂かれた訳ではない二人は、複雑な運命を引き延ばしながら、コアを壊し、ぶらんこに乗り嫋やかに縫い付けられた願いを蹴飛ばして、影を踏む子供たちの騒ぎ声が記憶をかき消させ、画期的な今とは映像の中でしか永続的な力を孕まぬから、この命とは瞬間すらも捉えられずに、卑屈になったり、理屈をこねては、正しいものを演じては、もぬけの殻になった自己を傍観し、諦観に至り、ニヒリズムにひたり、悲観することでしか、感することも出来ないようであれば、この身体はバラバラになって、ビリビリと泣く冬に屠られるべきであるし、あるがままの可能性を呪うことでしか、生きていることを実感できないようであれば、あらがうことを辞めて、煮詰められたしぼり汁を出すためだけに引き伸ばされた今などは葬るべきだ。