壊滅的な君の日々に注がれる太陽、有する記憶に沈殿する思いが消費する物事、狡猾な論理が締め付け、全体主義に占領される君の些細な結末に結合されていく道理のようなものに支配され世界はどんどん消費される。禍々しい光が輝く街に収納されていく記憶、何かに恋焦がれていたものも、年老いれば諦めに変わり、数字だけに攻め入られる生命は、今に苦しみを抱え、理不尽な罪に囲われ、身動きもとられなくなる。馴れ合いが深める不安感に加工されるイメージが嬲る思春期の指針、時代性の制約、緻密な君の一切が加速し、逡巡している合間にも曖昧になっていく意思が簡単に還元する理由により、均衡は脆くなり、元々の強度を脆弱なものに変換するために書き換えられた思いにより汚く加工された夜を蝕む波形、継続されるだけの惰性な思い出に氾濫していくああすれば良かったという後悔の念を蹴散らすために修羅を生き、いぶかる先に現れる詐欺まがいのものに参列するクソみたいな木々を切り落とし、ここでくたばるだけの私たちには実感すらなくなり、かぎかっこの中に閉じ込められた言葉や、そこかしこで吹き荒れる風や、生きることを否定され、そこで朽ちることを待ち侘びるSNSの中での亡霊たちが集う回路の中で集約される中と、延々と襞に吸い込まれていく無限に成立していく空間の中に食い込んでいく彼方で分からなくてなっていく私たちの観念で成立していくものなどは、所詮はそこでの苦しみを散らすために謳われるものに左右され、そこで刷新される新品の思いが真理をゴミかなんかに変え、一切は書き換えられることにより成長したり破壊されたり朽ち果てたりしながら、そこで持ち寄り用いられたものには正しさなんてものはなく、正しいとされるものの中で働きを加えられる物事は空間の中で絶えず破棄され、ここで中、中と語られるものの中には中庸すらなく、ここでの正解や世界などは存在すらしておらず、すべては危うくすべてを失い続けるためだけに継続されてはいるが、何かそこには超越し、何事にも囚われずに、寝そべり横柄に現れるものを食べ尽くすのである。